第四章 Blind

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 夕食後、すぐに作戦会議を再開するでもなく、一同はそれぞれ自由に食後の休憩を楽しんでいた。ティアとフィニスも少し離れた岩陰に立って、思い思いに語り合う皆の姿を眺めていた。壮大な遺跡の風景と砂漠に刻まれた風紋は夕焼けに赤く染まり、吹き抜ける風の音すらも雄大で神秘的だ。
「……ティア」
 フィニスがゆったりと、しかし感慨深そうに口を開く。
 ――なんだ――
「あなた、本当にそれで良いのね?」
 ――ああ――
 短く回答したティアを、フィニスは黙ったままじっと見つめる。瞳をのぞき込まれたティアは落ち着かなげに視線を泳がせ、やがて観念したようにため息をついた。
 ――頭ではわかっている。そしてこんな無茶を言うのは私が若いからだということも……だが……若気の至りだとしても……あのバカッタレのせいでやけっぱちな気分になっているからだとしても……少なくともこれは私の意志だ。今現在の、偽ることのない純然たる私自身の意思なのだ――
 ティアは決然と顔を上げ、夕暮れの空にうっすらと姿を現した水の星を見据える。
 ――後悔などしない。絶対に――
「そう……わかったわ」
 ティアの横顔にフィニスが微笑む。
「……私は戦力外だから一緒には行けないけど、無事を祈ってる」
 そうしてフィニスもティアの視線を追いかけるように水の星を見上げた。
 祈りにどれほどの意味があるのか、フィニスは知らない。それでも祈りたいような気分になるのは、眼前に広がる風景が、人の力ではとても及ばないと思えるほどに壮大だからだろうか。それとも、この風景の向こうに祈りに耳を傾けてくれる誰かがいると信じたいから?
 自分のことはわからない。けれどティアにとっては後者なのかもしれないと、ふとフィニスは思った。

 同じ頃、ライファは乗ってきたジープのタイヤをチェックしているノエルに話しかけていた。
「インティリアの様子、どうでした? バレずに入る方法ってありますかね? 今結構厳しいんじゃないかと思うんだけど」
 ノエルは作業していた手を止め、ライファを見上げて微笑する。
「ええ、厳しいと思いますよ。エヴァーグリーンの中心部まで侵入した不届き者がいましたからね」
 苦笑と遠回しな言葉は、タスクとアレスに向けられたものだ。
「今はアレスもいないし……ノエルさんたちの方がインティリア内部には詳しいから、もしもノエルさんに良い案があったら、と思ったんですけど」
 その節はすみませんでした、という気持ちは表情にだけ乗せて、ライファは質問を続ける。
「良い案、ですか」
 ノエルは立ち上がり、手にしていたレンチを開けっ放しだったドアから車の中に放り込んで眼鏡を拭う。
「そうですね……」
 眼鏡をかけ直したノエルは、軽く縁を押し上げながらライファを見下ろした。
「僕が連れて行ってあげますよ」
「え……?」
 すっと表情を消したノエルに、ライファは思わず困惑の表情を向ける。ノエルはそれを気にした様子もなく、まったく感情の読めない口調で淡々と話し始める。
「エヴァーグリーンでも、帰還システムの起動が何をもたらすのかは研究が進んでいました。帰還システムの起動は、まず何は置いても、この星に海を呼び戻す働きがあります。同時に、異空間内に封印されている月をもとの――今はフォンターナが回っている軌道に戻すことになります。その後、帰還システム・ライファと維持システム・フォンターナは、共に地球や月が持つイディアー的な『記憶』に従って環境の復元に努めることになるはずです。つまり……フォンターナは、維持される」
 平坦な調子の声にふと滲んだ憎悪の気配に、ライファは声もなく後ずさる。しかしそれよりも素早く、ノエルは懐から何かを取り出しながら距離を詰めた。
「帰還システム起動後も、彼女が廃棄されることはないのです。僕にはそれが、許せない」
 抵抗する間もなかった。懐から取り出した『何か』を、ノエルがライファの腹部に押しつける。電流がはじける音と共に吹き飛ばされるように全身の力が抜け、ライファの意識は闇に落ちた。

「テメェ! ライファに何しやがった!?」
 真っ先に駆けつけてきたのはタスクだった。ノエルはライファを抱き止めると同時にスタンガンを手放して袖口から小型の拳銃を取り出し、脱力した彼女のこめかみに突きつける。
「動かないでください」
 静かに言い放てば、タスクは縫い止められたようにぴたりと立ち止まる。異変に気付いて集まってきた迅斗たちも、動揺を隠せない様子で呆然と立ち尽くしている。
「ノエル……何を……何を考えている!?」
 他のメンバーよりも一歩先に出てタスクと並んだ迅斗が、震える声を張り上げた。アクアが我に返ったように身構える。レルティとカイラスはまだ困惑した表情のまま。桔梗は言葉もなく震えるだけで、少し離れたところにいるティアとフィニスは緊迫した状況に気付いていないのか様子を見ているのか、動き出す気配はない。
「フォンターナは危険な存在です。五年前の水の星移住計画――あの時、移住コロニーを壊滅させたのは彼女の憎しみだった。アレスたちと同化し、その憎しみに侵され、支配された彼女自身が、我々人類に牙を剥いたのです」
 ノエルは努めて穏やかな調子で話しながら、じりじりとジープのドアに向かって後退する。
「そんな危険な存在をそのままこの星に呼び戻されては困るんですよ。だから、申し訳ありませんが、あなたたちの計画をそのまま実行に移してもらうわけにはいかないのです」
「ライファを、どうする気だ」
 低く押し殺した声でタスクが尋ねた。握りしめた拳に、ゆらりと陽炎が立ち上っている。これ以上怒らせない方が良いとわかっていながらも、ノエルは冷静に口を開いた。
「一度エヴァーグリーンに連れて行きます。彼女に働いてもらうのはフェルゼン様がフォンターナを始末した後、ということになりますね」
「なぜライファの意志を無視してまで……! フォンターナの危険性について俺たちに説明すればすんだ話だろう!」
 感情的になっているのは迅斗も同じだが、彼にあるのは怒りよりも戸惑いと悲しみだ。
「ライファさんがフォンターナを殺すことを承知しないだろうと判断したためです。フォンターナはライファさんの実の妹を核として作られた。記憶を失ったとは言え、ライファさんの彼女への思い入れは深い。フォンターナが消えた場合に起こる、環境復元の不具合とその危険性についても、ライファさんを説得できるだけの材料を僕は持っていません。それに、迅斗さん。あなただって納得はしてくれないはずだ」
 その言葉に怯んだように、微かに迅斗の身体が揺れる。
「しないでしょう? あなたはフォンターナを命がけで護った悠斗さんを知っている」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。ターナが危険なわけねえだろ」
 タスクが重心を下げて臨戦態勢に入るのを、ノエルは奇妙に冷静な気分で見ていた。彼らを裏切るこの瞬間には、もっと動揺するはずだと思っていたのに。まるで感情が凍り付いてしまったように動かない。
「根拠は?」
 問い返す己の声も、凍り付いたように冷たいものだった。
「見りゃわかんだろ?」
「普通、そういうのは根拠がないと言うんですよ」
 タスクの眦が鋭い殺気を宿してつり上がる。
「危険だったらアレスがそう言うはずだ」
「悠斗さんが『アレス』たちに支配されていなかった、という証拠もありません。彼の証言は僕にとっては価値のないものだ」
 てめぇ、と、声にならない呟きがタスクの唇をふるわせた。
「僕は一足先に、エヴァーグリーンへ戻ります。全て終わったら、ライファさんをお返ししますよ。その時にはナナミ・チームの地位も元に戻っているでしょう」
「ノエル! ふざけるな! 俺はそんなこと望んでない!」
 一歩踏み出しかけた迅斗の動きが、銃を握るノエルの指先に力が込められたのを見て止まる。
「……知っています。ですが、他に贖罪の方法もないのでね。皆さん、もう少し下がっていただけますか」
 隙を見せればタスクと迅斗はライファを取り戻そうと動くだろう。
「もう少し……タスクさんと迅斗さんは桔梗さんとレルティさんの後ろへ」
 そこからならば、例え戦闘慣れした二人であったとしても誰も傷つけることなく攻撃を仕掛けるのは難しい。タスクが悔しそうに奥歯を噛みしめる。
 ノエルは隙を見せないよう拳銃を突きつけたままライファを後部座席に乗せ、タスクたちの動きを注視しながら車のエンジンを始動させる。タスクが忌々しげに舌打ちする音。呆然と立ち尽くす桔梗と、ようやくショックから立ち直って迅斗の動きを阻害しないためにはどうすればいいのか必死で頭を働かせているらしいレルティ、おろおろと様子を伺うカイラス。迅斗とアクアが静かに動き出すタイミングを計っている気配。だがチャンスを与えてやるつもりはない。ノエルは素早く運転席に飛び乗り、力強くアクセルを踏み込んだ。
 急発進するジープを即座に追撃が襲う。タイヤを狙う迅斗の雷撃とイディアー能力を乗せたアクアのナイフをかいくぐって蛇行する車を、ノエルはどうにか立て直す。タスクはライファへの被害を恐れて何も出来ない。他の車はノエルが仕掛けたトラップが作動して動かなくなっているはずだ。
 それでもバックミラーから彼らの姿が消えた後も、ノエルは何かに駆り立てられるようにスピードを緩めることが出来ない。行く手に広がる赤い夕日の残光が、何だか不吉なものに思える自分自身が滑稽だった。