第四章 Blind

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「あの野郎、ぶっ殺す!」
 怒りに任せて放ったタスクの炎が、遺跡の一部を派手に吹き飛ばす。もともと不安定な形をしていた遺跡が支えを失って連鎖的に崩れ落ち、ものすごい土煙が砂漠の風に舞い上がる。
「何が根拠だ! ふざけやがって!」
 ようやくやって来たティアとフィニスは、何と声をかけたら良いのか迷っている様子で黙ってそれを見つめていた。タスクの暴挙に普段ならば確実に怒り出すはずの迅斗も、今回ばかりはジープが走り去った方向を呆然と見つめるだけで何も言わない。
「クソッ、何のために俺は……俺は……!」
 もう一撃、地面に向かって八つ当たりをして、タスクは言葉を詰まらせた。あまりにも乱暴な感情表現だったが、そこにいる誰もが同じ気持ちだった。自分に攻撃的なイディアー能力があったら、絶対に同じことをしていただろうと桔梗ですら思っていた。
 遺跡の崩壊が止まると、重苦しいまでの沈黙が辺りを支配した。ナナミ・チームの面々と桔梗は沈鬱な表情で黙り込み、ティアとフィニスも深く考え込んだまま微動だにしない。ただもうもうと舞い上がる土煙と、砂漠を渡る風の音だけが滑稽なほど派手だ。そして土煙さえも、やがて重力に引かれて収まってしまう。
「……ねえ、あのさ」
 長い沈黙を破ったのはレルティだった。
「ノエルが言ってたこと、本当? 本当にフォンターナって危険な存在なの?」
 半信半疑の視線を一番答えに近そうなタスクに向けて放った後、レルティは迅斗とアクアとカイラスを順番に見つめる。
「もし本当に危険なら、私たちにはノエルを信じるって選択肢もあるってことになるよね?」
 うつむいていたタスクが顔を上げ、不機嫌そうにレルティを睨む。
「んなわけねえだろ。お前、ターナに会わなかったのかよ」
 睨まれたレルティも負けじとタスクを睨み返した。しかしその表情に浮かぶのは、敵意というよりも不安と期待をない交ぜにしたような複雑な感情だ。
「会ってないし、もし会ってたとしたってちらっと話したくらいじゃわかるわけないわよ。あんただってちょっとしか話したりとかしてないんじゃないの?」
「それで充分だろ。ターナは危険じゃねえし、アレスはアレスだ」
 タスクは心底不可解そうに眉根を寄せる。つられたようにレルティの表情も訝しげなものに変わった。
「……なんであんたはアレスさんのこと信じてるの?」
 まったく理解できないという言葉の調子とは裏腹に、レルティの表情から不安が薄れ、代わりに期待が仄かにその割合を増す。
「なんでもクソもあるかよ。見りゃわかることだろうが。てめぇは見てわかんねえのかよ」
 その瞬間のレルティの視線は、呆れ返った心の内を何よりも雄弁に語っていた。
「信っじらんない」
 心の底から抑えようもなくあふれ零れ落ちた魂の叫びだった。
「は?」
 タスクはさっぱりわけがわかっていない。
「超、単純馬鹿」
「ぁあ!?」
 馬鹿にされたと理解して、タスクの機嫌は最悪からさらに急降下する。
「あんたって、直感だけで生きてるのね。好きとか嫌いとか、良い奴っぽいとか悪い奴っぽいとか」
 その言葉に込められた感情が決して嫌悪ではないことに気付いて、迅斗がふと顔を上げる。
「他に何があるんだよ」
 タスクはレルティが何に感心しているのか未だに理解できていない。レルティの感情の変化についていけないアクアとカイラスも顔を見合わせるばかりだが、ティアの表情には微かに状況を面白がっているような気配が灯る。
「あーあ、信じらんない。ホント、どーぶつみたい。私以上だわ」
 言葉の割にはどこかすっきりとしたように、レルティは大げさに肩をすくめた。
「何が言いたいんだよ」
「べっつにー。つーか、何言っても無駄よね、あんたみたいなタイプって。言葉で分かり合うとかじゃないんだもん。だから、もーいーよ」
「はぁ?」
 唖然とするタスクを後目に、レルティはくるりと華麗なターンを決めてじっと様子を見守っていた迅斗に向かい合う。
「迅斗ー、私、ライファちゃんとフォンターナを信じる方に一票!」
「……何なんだよ」
 話の流れから置き去りにされたタスクの不機嫌なつぶやきが、砂漠を吹き渡る風にさらわれて消えた。

 ノエルが壊していった車両を直し終わった頃には、すっかり夜も更けていた。修理作業で疲れきったカイラスは焚き火の周りの寝袋で瞬く間に深い眠りにつき、後半の夜番を引き受けたティアとフィニスもアクアと桔梗を連れて早々にバンに引き上げて就寝した。タスクは一人でどこか離れたところに寝場所を探しに行ってしまった。起きているのは騒ぎが起きている間中車の中で眠っていた天理と、前半の夜番である迅斗とレルティだけだ。
「迅斗ー、眉間ヤバイよ。未だかつてないシワの深さだよ?」
 そろそろ交代の時刻が近づいてきた頃、焚き火の様子を見ていたレルティが、岩に腰掛けて厳しい表情でノエルが消えた方角を睨み付けていた迅斗を振り仰いで笑った。
「絶対に、助けなくては……」
「ん? ライファちゃんのこと?」
 脈絡のない呟きに、レルティは小首を傾げる。
「他に誰がいる?」
 瞬きをしてレルティを見やる迅斗に、レルティはふと小悪魔のように楽しげな笑みを浮かべ、猫のような動きで迅斗の目の前まで近寄った。
「場合によってはノエルも入るじゃない。ね、もしかして、ライファちゃんのこと好きなの?」
「え?」
 迅斗は四つん這いになって身を乗り出しているレルティを見返し、動きを止める。
「……い、いや。なぜ……そうなる?」
「違うの?」
「ち、違うと言うか……いや、嫌いではないんだが……」
 レルティはすぅっと目を細め、チェシャ猫のような笑いを口元に貼り付けた。距離が近い。やたらと近い。ちょっと身動きしたら唇が触れてしまいそうで、迅斗は激しく狼狽した。
「やーだ迅斗ってば純情なんだから真っ赤になっちゃって」
 答えられない迅斗から、レルティは野生の獣じみた素早さでさっと身を離した。
「無事だと良いね、ライファちゃん」
「……あ、ああ」
「明日、頑張ろうね。さ、交代交代〜」
 ひらひらと手を振りながらティアたちを呼びにバンへ入っていくレルティを、迅斗は複雑な表情で見送る。何度か逡巡した後、そっとため息をついて夜空を見上げた。

「う〜ん、かもしれない、くらいだなー、あの反応は。迅斗自分のことでも鈍そうだもんなー」
 隣でぶつぶつと呟く声に、アクアは薄っすらと目を開いた。ティアとフィニスは見張り番で出て行ってしまった後で、遅くまで声を殺して泣いていた桔梗からも今は寝息しか聞こえない。闇の中でごそごそと毛布にもぐりこみながら独り言を言っているのはレルティだ。
「でも……そうだとしても意外とショックじゃない、かも……?」
 レルティが迅斗のことでぶつぶつと一人反省会だか一人恋バナ大会だかを夜中に開くのはいつものことなので、アクアは冷静に放っておく。
「えー……ここは嫉妬に燃えたり切なく涙を流したりする場面じゃないの?」
 どうやらレルティのテンションはここ数ヶ月なかったくらいの勢いで低いようだ。
「くぁ〜っ! どうしてここで乙女になりきれないんだ私ー!」
 と思っていたら瞬間沸騰したらしい。毛布に包まったレルティは断末魔の芋虫がもがき苦しむかのごとく転げまわる。そんな見苦しい気配に気付きもせずに眠り続ける桔梗が少しうらやましい。一見優しげで繊細そうだが実は大物なのかもしれない。なおも身悶えるレルティを哀れむような目つきで見やって、アクアは深くため息をついた。
「……充分乙女やってんじゃないのかい?」
 もちろん、レルティは聞いていない。