第四章 Blind

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 あまり時間はないかもしれない、と、ティアは言った。ノエルはエヴァーグリーンの高速交通機関を利用できるが、迅斗たちは車を使うしかない。どんなに急いでも三日分は離されてしまう。その言葉に急かされるように、一行は昼夜を問わず車を走らせてインティリアの地下へ辿り着いた。
 結局、インティリアに密かに侵入する経路は迅斗たちにもわからないため、タスクの記憶を頼りにアレスが使っていた逃がし屋へやって来ることになったのだ。『おっさん』がまだ寝ている時刻だったので、一行は裏通りに面した酒場に入って遅い昼食を取る。
「あらあんた、生きてたのかい? ドクターはどうしたね?」
「あいつはいねえよ」
 話しかけてきた店の女将にぶっきらぼうに答えて、タスクは不機嫌な表情もあらわに椅子にふんぞり返る。隣に座ったレルティが、タスクを肘で小突きながら女将に向かって愛想笑いを浮かべた。
「すみません、こいつ全然礼儀がなってなくって」
「いいんだよ。その子がそんなだってことも……ドクターが無茶しいだってことも、わかってたからね」
 何か察したらしい女将の沈痛な表情に、迅斗の表情も沈んでいくものだから、レルティは慌てる。
「そ、それよりみんな、何注文するー? あたしジャムトースト!」
「ホットドッグ」
 間髪入れずタスクが答え、誰に気ぃ使ってやってるのよとレルティがむくれ、アクアが冷静にメモ帳を取り出して注文を書き始めた。
「ジャムトースト、他に誰かいるかい?」
 桔梗とティアとフィニスが手を上げ、アクアは自分の分を足して五つと書き込む。
「迅斗は?」
「コーヒーだけで良い」
 ――だめだ。しっかり食え。アクア、ホットドッグを足しておけ。カイラスの分もな――
「あ、はい。じゃあ、ジャムトースト五つとホットドッグ三つ、あと天理に生肉、と」
 その調子で飲み物の注文も集計し終えたアクアが、女将にメモを渡す。にこやかにメモを受け取った女将が厨房へ入っていくのと入れ替わるように、カイラスが店内へ入ってきた。
「こりゃもうだめだな」
 カイラスは駐車場で、インティリアの外れでエンストしてしまったバンの修理をしていたのだ。油で汚れた手を拭きながら席に着いたカイラスは、ジェスチャー付きでお手上げだと皆に伝えた。
「まあ、良いんじゃない? とりあえず今回の作戦にはこれ以上移動は必要ないんだし」
 ――最終的にはここは海になるから脱出しなければならんが、これからエヴァーグリーンに侵入しようと言うんだ。他に移動手段を確保するチャンスはあるだろう――
 フィニスとティアがそう判断を下し、結局バンはそのまま一行の荷物置き場として使われることになった。

 夜も遅くなってようやく起きてきた『おっさん』を、一行は酒場の奥の部屋で取り囲む。『おっさん』は見た目だけならばごま塩頭に小太りのさえない中年だが、その視線が鋭く一行を観察しているのを見て、迅斗は印象を改める。これは何度も死線をくぐり抜けてきた、老獪な戦士の目だ。
「そっちの兄ちゃんは一度世話してやったことがあったな」
 にやにやと笑いながら、『おっさん』はタスクに視線を投げる。
「逃げる方の手助けはしてやった記憶がねえが、またインティリアに侵入したいとは物好きなこった」
「好きこのんであんな辛気くさいところに行くんじゃねえよ。目的は前回と同じだ」
「仲間を助ける、ってやつか」
 にやにや笑いをいっそう深めながら、『おっさん』は一行を眺め渡す。
「ドクターはいないようだが、仲間は増えたようじゃねえか。なら、一つ言っておかなくちゃならねえ」
 睨みを利かされた迅斗が微かに息を呑む。『おっさん』はそれを見て満足げに喉を鳴らした。
「いいか坊主、俺は高いぜ」
 そして、レルティと『おっさん』による仁義なき価格交渉が幕を開けた。

 倉庫にある車はもともとあんたらのもんだ、持ってけ、と、『おっさん』は言った。車ならば確認しておく価値はあると、迅斗とアクアは価格交渉をレルティに任せて様子を見に行く。長い話し合いにうんざりしたのか、珍しくタスクもついて来た。
「ああ、なんだ、こいつか。懐かしいな」
 倉庫で埃をかぶっていた屋根なしジープを見て、タスクが思わず声を漏らす。
「懐かしい?」
「アレスがどっかから拾ってきたポンコツ君だ」
 迅斗の疑問を含んだ視線に、タスクは大真面目に言い放った。
「……ポンコツ君?」
 迅斗は半眼で聞き返す。
「そういう名前なんだ」
「命名者はライファだろう」
「何でわかるんだよ」
 タスクは心底嫌そうに迅斗を横目で睨んだ。
「で。お前、車運転出来んのか?」
「いや」
 首を横に振る迅斗に、タスクが行儀悪く舌打ちする。
「……役にたたねえ野郎だな」
「貴様に言われる筋合いはない」
「なんだと?」
 礼儀をわきまえない人間に遠慮する必要はないとばかりに迅斗が喧嘩腰に言い返せば、タスクもそれに応じて殺気を放ち始めた。
「はいはいはいはい、あたしが出来るよ。それで良いだろ」
 放っておいては収拾が付かないと察したアクアが割って入り、二人は軽く睨み合って喧嘩を収束させる。
「まったく……どっちもどっちだね」
 アクアの大きなため息に迅斗は反論しかけたが、材料が見つからずに沈黙した。なぜタスクと話しているといつもこうなってしまうのか。一瞬浮かんだ「似たもの同士」という単語を全力で払拭するべく、迅斗はさっさとレルティたちの所へ戻ることに決めた。

 三人が戻る頃には仁義なき価格交渉は終焉を迎えていて、なぜかレルティと『おっさん』は仲良く酒杯を交わしていた。
「あ、迅斗、おかえりー」
 ほろ酔い機嫌のレルティに、迅斗は思わずため息を吐く。
「交渉はどうなったんだ?」
「もちろんばっちりよ。ていうかね、実は今ならインティリアへの侵入はそんなに難しくないんだって」
「俺の方から詳しく説明してやろう」
『おっさん』がレルティの言を引き取る。
「数日前、エヴァーグリーンの幹部がいっせいに姿を消した。こいつはエヴァーグリーンの一般隊員にとっても予期しない出来事だったらしくてな。地方まではまだ情報が伝わってないようだが、インティリアに所属している連中はパニックに陥ってる。エクスティリアからの侵入者に対する警備もだいぶ甘くなってやがるんだ」
「何だかわかんないけど、都合は良いよね」
 レルティはあっけらかんと言い放つが、その横にいるティアは難しい表情だ。
 ――そうとばかりは言えん。幹部が消えたと言うことは、水の星への移住計画が動き出していると言うことだ――
「確か、最初に水の星の維持システムを壊して、それから移住を始めるって話だったよな?」
「つまりまずフォンターナを殺すって話だろ。移住予定者が消えたってことは、もう殺されてるってことになるのかよ」
 カイラスの確認にタスクが殺気立つ。
「もしそうだとすれば、ライファちゃんの力をもってしても海を取り戻すのは難しいかもしれないわ」
 ――間に合う可能性にかけて、一刻も早くライファの力を発動させねばならんな――
 フィニスとティアが頷き合い、改めて『おっさん』に向き直った。
 ――すまんが、我々には本当に時間がないようだ。出来るだけ迅速に侵入の手立てを整えて貰いたい。それと、もう一つ頼みたいことがある――

 逃がし屋の『おっさん』の手腕は確かだった。翌朝にはインティリアへの侵入手段は整えられ、ティアの頼みも希望通り叶えられていた。
 低地からの退避を訴える緊急放送が鳴り響く中、迅斗、タスク、レルティ、アクア、ティア、桔梗、天理の六人と一匹は、インティリアへ続く非常階段を駆け上がっていた。
 海が戻ってくる速度は地表の人間に被害が出ないよう、かなりゆっくりに設定されているとアレスの研究でわかっている。そうティアは皆に伝えた。だが、万が一と言うこともあるし、早めに知っていれば必要な物を持ち出すことも出来るだろう。そのために、ティアは逃がし屋の人脈を駆使してできるだけ多くの人間に海が戻ってくることを伝えるように頼んだのだ。戦力にはなれないカイラスとフィニスもそれを手伝っている。桔梗も戦力外ではあるのだが、本人の強い希望で迅斗たちについて来ていた。
 一同が目指すのは、エヴァーグリーン本部にある緊急放送室だ。そこからなら、住民向けではなく地方にいる隊員も含めた、エヴァーグリーンの隊員全てに向けて指示を出すことが出来る。
 それをしてしまえばフェルゼンたちに侵入を知られることになるだろうが、ノエルがライファを連れて行った時点で迅斗たちの襲撃は予想されているだろう、というのが全員の一致した意見だった。
 とにかく今は、急ぐことしか出来ない。逸る気持ちを抑えながら、一行は無言でインティリアを目指した。