終章 Beginning

「ほかにもついて来る奴いるのか?」
 昇ったばかりの朝日を頼りにポンコツ君のエンジン部に頭を突っ込んで調整しているカイラスに、やる気なく助手席に寝そべったタスクが尋ねる。
「アクアはついて来るだろ。ノエルもなんか傷心の旅にとか言ってたな。桔梗さんが海に沈んだ場所に住んでた人たちのために基金を立ち上げるって言ってたんだが、その手伝いはしなくていいんかね」
「カイラス君」
 ポンコツ君のタイヤによりかかって日光浴していたノエルが急に立ち上がった。ちょうどカイラスからは死角になっていたらしく、サングラスの大男は「のわっ」とか叫んでのけぞる。
「側にいなくても出来ることっていうのは、結構たくさんあるんですよ」
「ふ……ふうん」
 カイラスはずり落ちたサングラスを直しながら頷いた。その様子をはたで眺めながら、こいつ目は迫力ねえな、とタスクは思う。
「で、ほかには?」
「ん? ああ、あとはレルティがどうだか微妙だったんだが」
「微妙? そんなことないわ! ついてくわよ」
 カイラスの返答に反応したのはタスクではなく、ちょうど話題に上っていた張本人のレルティだった。アクアと共に他力本願寺でまとめた荷物を運んで来たらしい。
「まったく、どういう風の吹き回しなんだか」
 ずだ袋にいっぱいの荷物を後部座席に放り込んだアクアが首をかしげる。
「傷心の旅」
 レルティは据わった目できっぱりと答え、乱暴に荷物を除けて自らの座席を確保した。

 ――下らないことに手を貸した気がする――
 ティアは呆然と海辺にたたずむ人々を眺めながらつぶやいた。今回のことで帰る場所を失った人々も大勢いる。再興のチャンスは富める者には多く、貧しい者には少ない。それがわかるから、ティアは苦々しく言葉を続ける。
 ――結局、世界は救われていない――
「あなた、物事を大局的に考えすぎよ。私たちがしたかったことって、世界を救うことじゃなくて海を取り戻すことじゃない」
 隣に立ったフィニスが笑う。
 ――まあ、それはそうなんだが、取り戻した後どうなるかまで意図的にあんまり考えないようにしてたところに我々の罪があると言うかだな――
「ティーア。私たちはそりゃあいろいろやってのけたけど、そのときどきでできることしかできなかったっていうのも認めるべき大切な事実なのよ? それにほら、アレス君だってこっちに戻ってきたんだし。そのことだけでも、幸せになれた人は結構いると思うわ。私とかライファちゃんとか……たぶんあなたとか」
 苦笑混じりのフィニスの視線を追いかけると、こちらに向かって手を振るアレスと隣に立つ迅斗が見えた。
「迅斗君は結局あのお寺に住み着くみたいよ。私達もしばらくはそうしましょうか。ここで出来ることだって、きっとたくさんあるわ」
 ――……ああ、少なくとも屋根のあるところで寝ることは出来るしな。壁は……あると言って良いのか微妙だが――
 フィニスは笑いながらそれがあの建物の良いところだとか、日本建築の特徴だとか反論する。
 ――エヴァーグリーンを立て直さなければならないな。今回のこと、生き残ったお偉方にどう説明したものだか……――
 再び眉根を寄せて考え込むと、フィニスは笑顔を苦笑に変えた。
「順を追って説明すればいいじゃない。物わかりの良い人だっているんでしょう?」
 ――まあ……な。フェルゼンの暴走について勘づいていた者もいるだろう。海を取り戻したことをエヴァーグリーンの手柄にできるなら、多少の隊則違反は大目に見てもらえるはずだ。私も、迅斗たちもな――
「そうよね、手柄を引き渡すんだから、こちらも最大限に利用させてもらわなきゃ」
 フィニスはさわやかに笑いながら言う。
 ティアもつられて微笑しながら、海風に誘われるように視線をめぐらせた。
 浜辺の人々の中から二つの影が離れていくのが見える。真っ直ぐ海へ向かっている人影はライファで、隣を歩くのは天理だ。
「……幸せ、か……」
 ライファもそうなのかは判断がつかないが、少なくとも自分は幸せになれたのだろう。根気よくこちらに向かって手を振り続けていたアレスに応えながら、ティアは緩やかに目を細めた。
 吹き寄せる風から、潮の香りが漂う。

 靴を脱ぎ捨てたライファは波打ち際に立って微笑んだ。爪先をぬらす水は温かく揺れて心地良い。もうだいぶ高く昇った太陽に照らされて、空はどこまでも青い。水平線を境界にして空と海の二層になった青が綺麗で、知らずため息が零れる。目を閉じて潮の匂いを深く吸い込んで、そしてまた瞳を開いた。
「……ターナ」
 久しぶりに『故郷』へと帰ってきた少女に、ライファは優しく呼びかける。
「私たち、これでもう寂しくないね」
 ひときわ高く波が打ち寄せて、ライファの裸足の足を洗った。ゆっくりと、穏やかに。

 その呼びかけに、応えるように。