第三話 無給休暇

 3-4 その町の景色を

 フィラに会いたがっている連中もいる、というグレッグの言葉で、その日の夕食はロビーで取ることになった。ジュリアンとしては余り顔を見せたくはなかったのだが、フィラ一人で行かせる方が心配だったのでついて来てしまった。一応、情報収集も兼ねて多少交流するのは悪くないことだし、マスクをしているのも半分は体調不良が理由だから特に怪しまれることはないだろう。
 そういうわけで、暗くなる頃、二人はホテルのロビーでフィラの知り合いだという町の住人たちに囲まれていた。どういう情報網なのか、確かにグレッグが集めてきたのは皆フィラが見覚えのある人間ばかりだったようだ。
「いやしかしあのがきんちょが結婚ねえ……」
 全身傷跡だらけの大男が、感慨深そうにフィラを見下ろしている。あの傷のいくつか――特に背中側にあるものは、恐らく戦いの中ではなくWRUにいた頃に施された実験によるものだろう。
「あたしらも年を取るわけよねえ」
 真っ赤なモヒカンに一目でそうとわかるやや飛び出した義眼を装着した男は、なぜかさっきからずっと女言葉で話し続けていた。他には車椅子で現れた黒衣にヴェールを被った老女と、その車いすを押してきた同じ格好の女性。それと、フランシスが好きそうな類の(つまり非常に不味そうな)酒を持って現れた青年が一人。
 どういうつながりなのか良くわからない、と思いながらカウンターの前でその様子を眺めていたら、グレッグが一人ずつ説明してくれた。
 傷だらけの大男はこの町でも古参の賞金稼ぎだ。怪我や死亡による入れ替わりの激しいこの町で、二十年以上現役で居続けている手練れだという。フィラの育ての親とは男女の関係だったらしいが、それをフィラに知らせる必要はないだろう。
 モヒカンの男は大男の仕事上の相棒で、ああ見えても治癒魔術に関しては一流だとグレッグは言った。フィラの師匠が留守のときには、グレッグと一緒に子守もしてくれていたらしい。
 黒衣の老女のことはジュリアンも知っていた。会うのは初めてだが、聖騎士団が横流しした天魔の情報を取り扱う情報屋だ。この町では占い師メイジ、と名乗っているはずだった。もう一人の黒衣の女も後継者として仕事を手伝っている者だろう。
 最後の一人の青年は、昔の知り合いではなく昨日初めて会った相手らしい。スポーツドリンクをプレゼントしてくれたことには感謝しなくてはならないが、さっきからずっとフィラに話しかけたそうにそわそわしているところは気に入らない。
 エステルの知り合いは他にもたくさんいたのだそうだが、生き残っていて急な呼びかけに応じられたのがこれだけだったのだと、グレッグは少しだけ寂しそうに言葉を結んだ。
「でも元気そうで良かったわあ。エステルが死んじゃってから行方不明になったらしいって噂が流れたきりだったんだもの」
 微妙に青年の視線を遮りながら、モヒカン(本名は誰も知らないので、街でもそう呼ばれているらしい)がフィラに笑いかけている。
「ご心配をおかけしまして……」
 どこにいたのか言うわけにいかないフィラは、困ったように口ごもっていた。それで何かを察したのか、モヒカンは「それにしても」と話題を変えた。
「よくあの師匠のもとでそれだけ礼儀正しく育ったわよねえ。それで結婚相手も毛並みがよさそうなのかしら?」
 突然流し目を送られたジュリアンは、無表情にモヒカンを見返す。威嚇するような大男(呼び名はスカーというらしい)の視線も軽く受け流すと、モヒカンはなぜかにやりと笑った。
「あんなモヤシみたいなので嬢ちゃんを守れるのか?」
 うさんくさそうにジュリアンを見ながら、スカーがわざと聞こえるように声を上げる。
「勝負でも挑んでみる?」
 挑発された気がしたので、ジュリアンはわざと作っていた隙を、少しだけ消してみせた。それだけで察したらしいスカーは、小さく舌打ちしながら視線を逸らす。
「そろそろあたしも話して良いかね?」
 様子を見ていた黒衣の老女が、スカーの足を踏みそうな勢いで車椅子を突進させた。巨体に似合わない身軽な動作でスカーはそれを避けたが、老女の車椅子捌きも大したものだ。
「メイジさん、お久しぶりです」
 フィラが視線を合わせるようにしゃがみ込みながら微笑む。
「ずいぶん綺麗になったじゃないか」
「ありがとうございます。メイジさんも相変わらずお綺麗ですね」
「嫌だよこんな婆さんを捕まえて」
 混ぜっ返すように答えたフィラに、メイジはまんざらでもなさそうにケラケラ笑った。どうやら服装から想像されるより気さくな人物らしい。
「久しぶりに会ったんだ。どれ、占いでもしてやろうかね」
 本業が情報屋だと知っているせいで、どう考えても胡散臭いとしか思えなかったが、フィラが「お願いします」と言っているのを聞いて野暮なことを言うのは止めることにした。
「水晶」
 メイジがぶっきらぼうに言うと、背後に控えていた黒衣の女性がさっと水晶玉を取り出してその手に載せる。老女は水晶玉を覗き込んで、なにやらむにゃむにゃと呪文を唱えた。水晶玉からも老女からも魔力の動きは感じないので、もちろんただのパフォーマンスだ。
「……ふむ。どうやら険しい旅路になりそうだね。まあでも最後には何とか乗り切れるよ」
 占い、というには余りにも誰にでも当てはまりそうな結論だった。しかしフィラは何だか嬉しそうに「ありがとうございます」と礼を告げている。彼女の出した結論は、予測ではなく遠回しな、無事に乗り切ってくれという祈りだったのだろう。
「ほれ、夕食だ」
 一食くらい奢ってやる、という言葉通り、グレッグがいつの間にか奥から持ってきた食事をカウンターに並べた。見るからに合成品のビスケットと干し肉、こちらはなかなか良く出来ているけれど切り口の画一性からやはり大量生産品だとわかるゆで卵、見たことのない種類の山芋を煮たもの、申し訳程度に隅を飾る葉野菜。
 気付いたフィラが大皿二つに乗ってきたそれを、器用に持ってロビーのテーブルに運んで行く。
「おっ、ピアノ以外の特技が増えたんだな」
「飲食店でお仕事してましたから」
 フィラはスカーの言葉に答えながら、グレッグが出した皿や食器も手際よく回していった。
「ピアノは続けてるの?」
 モヒカンがふと真剣な気配を滲ませて尋ねる。
「はい。もちろん」
 頷くフィラを見つめるモヒカンの目が、優しく和んだ。
「それは良かったわ。ねえ、スカー、覚えてる? あんたがエステルに初めて突っかかっていったときのこと」
 スカーは一つ舌打ちしてから、何故か悔しそうに「全く怖がらない女だったな」と呟く。
「『あんたがこんな所で音楽を奏でたところで何になるってんだ。音楽が腹の足しになるか?』だったかしら?」
 その当時にスカーが言ったのであろう言葉を、モヒカンは笑顔で再現してみせる。
「『飢えてる子どもに音楽を聴かせても仕方がないとは私も思うよ』」
 スカーは表情を消しながら、低い棒読みでぼそぼそと過去の残照をなぞった。
「『でも人間というものは、飢えのために自分の身体が冷たい物体に変わっていくその瞬間に歌を口ずさんだりもするものなんだ。今この世界で音楽を奏でるということは、そういうことだ』」
 フィラはその言葉を、じっとかみしめるように聞いている。
「そんなこと言いながら引き取ったのは魔力のない子どもだからな」
 グレッグがカウンターの中からふんと鼻を鳴らした。
「ま、この町には飢えてる子どもはいないがね」
 周囲を気にせず皿に好きなものを取っていたメイジが、ゆで卵を美味しそうに食べながらもぐもぐと言う。
「そもそも子どもが生まれないからね」
「WRUの兵器には、ふつう生殖能力がないんだ」
 不思議そうに首を傾げるフィラに、青年がチャンスを逃してなるものかとばかり勢い込んで説明した。しかし、その内容は触れて良いのか悪いのか、何とも微妙な線だ。
「駄目ねえ。女の子にそんな話題振るようじゃモテないわよ。そういうのはアタシみたいのに任せておきなさい」
「仕方ねえよな。女の子どころか同い年の男すらいねえんだから」
 モヒカンの駄目出しよりも、スカーの慰めの方が青年には堪えたようだった。
「とこんな感じでね。たった一人の未成年だから、このお馬鹿さんでも可愛がられてるってわけ」
 落ち込んでいるところに追い打ちをかけられて、青年はすっかりふてくされた様子でフィラにも背を向けてしまう。
「初めて本物を見てびっくりしたんだろう。中央省庁区に行けば女の子もいっぱいいるからね。悪くないと思ったんなら、まずはお勉強を頑張りな」
 メイジがその頭をよしよしと撫でながら言った。なんとなく、もしかして同情するべきところなのだろうかとジュリアンは思い始める。

 そんな調子で思い出話や世間話に花を咲かせながら、夕食の時間は進んで行った。ジュリアンは余り会話には加わらなかったけれど、最後の方ではスカーやモヒカンと最近の天魔の動きについても情報交換をすることが出来た。
 食事が粗方片付いたところで、まずスカーとモヒカンが立ち上がる。
「じゃ、アタシたちは明日も早いから、これで失礼するわね。懐かしい顔が見られて良かったわ」
「エステルのクソ野郎に俺より先に逝きやがって墓に落書きしてやるから覚えてろって伝えてくれ」
 乱暴な哀惜に、フィラは「ありがとうございます」と頭を下げた。
 二人の後を追うように、メイジも車椅子を出口に向ける。
「ほれ、送っていかんかい。そんなんじゃ中央省庁区に行っても彼女の一人も出来やしないよ」
 メイジは車椅子の後ろに差していた杖を取り上げて、まだフィラの方をちらちら見ていた青年を膝の後ろから容赦なくつついた。
「なっ、何すんだよ婆さん……! ていうかなんで俺が! 婆さん俺より強いだろ!」
「相手によって態度を変えてたら見透かされるんだよ。女の情報網を見くびるんじゃない!」
 青年の襟に杖の先を引っかけて、老婆は彼を引きずっていく。片手で不自由なく車椅子を操っているところといい、なかなか凄まじい女傑ぶりだった。
 結局最後まで口を開かなかった二代目の情報屋は、その様子を見送った後で、やはり黙ったまま口元に笑みを刷いて頭を下げる。そのまま立ち去る後ろ姿を見ながら、彼女はたぶんジュリアンとフィラを『見に』来たのだろうと、ジュリアンは考えていた。この町で起こる出来事、この町に影響を与えそうな『外』の出来事。どちらも彼女たちは正確に把握しておく必要がある。情報の出所は、聖騎士団だけではないはずだ。ジュリアンが中央省庁区を抜け出したことも、二年前に途切れたフィラの足跡が最近また急に現れたことも、知っている可能性はある。
 彼女が自分たちを見て何をどう判断したのか、気になる所ではあったけれど、ヴェールに隠された真意を読み取ることはできなかった。
「さ、短い時間だったが、この町の空気が少しはわかっただろう。良い面しか見せてねえがな」
 皆が出て行ったところで、グレッグがカウンターの中から唸るような声で言う。
「こんな所にまた来いよ、とは言えねえが。ま、元気でな。明日出る時に見送る予定はねえ。鍵はカウンターにでも置いとけ」
 言うだけ言うと、グレッグは話は終わりだとばかりに携帯端末に表示させた新聞記事に視線を落としてしまった。
 ジュリアンと顔を見合わせたフィラが、どこかほっとしたように微笑む。
「それじゃあ」
「食器はそのままにしとけ。あとで片付ける」
 散らかったテーブルにフィラが手を伸ばそうとした途端、こちらを見ていないはずのグレッグから威圧するような声が飛んだ。
「えっ、でも」
「明日は早いんだろうが。子どもはとっとと寝ろ」
 ジュリアンとフィラはまた顔を見合わせて、微かな苦笑を交わす。
「では、お言葉に甘えて」
 梃子でも譲りそうにないグレッグに、ジュリアンは丁重に頭を下げた。この町には似合わない礼儀だったけれど、今ならば受け入れてくれそうな気がしている。グレッグは横目でちらりと見たきり、ふんと鼻を鳴らしてまた新聞を読む作業に戻った。
 ジュリアンとフィラは軽く皿をまとめただけで、後はグレッグに任せて部屋に戻る。グレッグの予想通り、明日は町の人々が活動を開始する前に出て行くつもりだった。

 夜明け前、まだ誰も起き出してこない頃を見計らって、予定通りに町を出た。寝静まっているようでも、どこかぴりぴりとした警戒心に包まれた町を、フィラは助手席から眺める。エステルと来た時に感じていた好奇の視線の意味を、今はあの頃よりもちゃんと理解することができる。あの頃は子ども過ぎて見えなかった――見せてもらえなかったものを、ほんの少しだけ見ることができた。
 でも、まだまだだ。まだ自分は子どもで、グレッグはフィラに見せたいもの、見せても良いと思ったものしか見せてはくれなかった。
「また、来たいです」
 ぽつりと言葉がこぼれ出る。
「そうだな」
 運転席から答えたジュリアンは、この町で何を見たのだろう。その話も、もっとちゃんとしたい。ジュリアンとフィラが見たものは、きっと違う。同じものを見ていても、ジュリアンにはきっと違うものが見えている。
「ジュリアン」
 フィラは窓の外から、運転するジュリアンの横顔に視線を転じた。
「私、知りたいです。この町のこと……もっと」
「ああ、俺もだ」
 ふと微笑んだジュリアンに、フィラは目を瞬かせる。
「知識だけではわからないこともある。俺が知っているのは、データや報告書から読み取れることばかりだ。あそこに住む人々の間に入っていったのは、今回が初めてだった」
 静かなその言葉に、フィラは気持ちが高揚していくのを感じていた。教えて欲しいと、フィラは願った。ジュリアンもフィラに、同じことを願っているのだ。
「教えてください。私も、思い出してみます。私があそこで見た、いろんな人たちのこと」
「ああ……よろしく頼む」
 その様子をフィラの膝の上から見つめていたティナが、呆れたように首を振って身体を丸める。
「ティナも、私が忘れていることがあったら教えてね」
「にゃあ」
 やる気なさそうにしっぽを振るティナが、それでも必要なことはちゃんと言ってくれるとわかっているから、フィラは微笑んでその背中を撫でた。