2日
最近リーニ嬢と何かあったのかやらリーニ嬢に何かしたのかやらやたらといろいろな人間から聞かれるが、むしろ私の方が何かあったのかと聞きたいくらいだ。思い当たる節などないのだが、最近リーニ嬢が私の周囲を窺っているのは、たぶん気のせいなどではないと思う。かといって話しかけてくるわけではない(むしろ話しかけようとすると逃げられる)のだが。私は何か礼を失するようなことをしてしまったのだろうか。
もちろんルーイからも何かあったのかと聞かれたが……あれは答えを知っている顔だ。知らなかったらあそこまで生き生きとした笑顔で尋ねてくるわけがないし、わからないという答えであっさり引き下がるはずもない。知っているなら教えて欲しいものだが、相手がルーイでは聞き出せる気がしない。
[今後するべきこと]
・リーニ嬢が私の様子を窺っている理由について本人に直接尋ねる。
・リーニ嬢に気づかず失礼をしてしまっていたのなら謝罪する。
4日
ついにジオにまでリーニ嬢と何かあったのかと問われた。私も知りたい。心の底から。
おかげで気もそぞろになって困るのだが、仕事の方は特に懸案事項もなく順調に進んでいるのが救いだ。秋の羊祭りの準備も例年より前倒しで進んでいる。この調子で無事祭りを終えられると良いのだが。
6日
ルッテラが部屋まで訪ねてきた。私がリーニ嬢に愛を告白したのかどうかを確かめに来たらしい。……どこの何をどう勘違いしたのだろうか。全く理解できないが、告白していないなら早くするべきだと説教された。女性に先に告白させるなど男としてしてはならないことなのだそうだ。その意見への賛否はともかく、なぜ私がリーニ嬢と恋仲であるなどという誤解が生じたのか……正直、あまり考えたくない。
7日
羊様が一頭、茨の茂みに迷い込んだ。おとなしく救出を待っていてくれたので怪我もなく無事救い出せたのは良かったが、その後絡みついたトゲを除去するのに大変な苦労を強いられた。
後でその悪戦苦闘の様子をリーニ嬢がじっと見つめていたと、ルーイとジオと姫君とイーヴァ・イリーネ殿からそれぞれ別々に報告された。報告されても、困る。しかも四回も。
10日
補修工事の計画案をルーイに提出。地下の井戸水を汲み上げる装置について、姫君から技術的な提案を受けた。オーヴィス王国で最近開発された技術で、今までより大量の水を少ない労力で汲み上げることができるらしい。普段の使用量ならば今の設計のままでも構わないのだろうが、羊祭りでの水使用量を考えると姫君の提案は大変ありがたい。装置は少し大がかりになるが、計画案に組み込む価値はあるだろう。
それにしても、姫君が土木建築に関しても深い造詣をお持ちだとは知らなかった。姫君に賞賛の意を述べたところ、「でも大工仕事に手を出そうとするとリーニに泣いて止められるんですよ」と笑われた。死人が出てもおかしくない腕前、なのだそうだ。その時の姫君の物真似があまりに良く似ていたので、正直なところどう反応したものか困ってしまった。遠慮無く笑い転げられるルーイが少しばかり羨ましく思える。
12日
リーニ嬢に話しかけられた。しかし、私は彼女のつむじしか見ていない。話しかけてはきたものの何やら口ごもっているので、これ以上怖がらせてもいけないと思って黙っていたのだが、結局そのまま勢いよく謝って走り去られてしまった。……一体何だったのだろう。噂を聞いたルーイはわざわざ人の部屋まで押しかけてきてそれは愛の告白に違いないと笑い転げていたが、奴の言など信用できるはずもない。
[今後するべきこと]
・リーニ嬢が私に伝えたかった事柄について、怖がらせずに上手く聞き出す。
14日
リーニ嬢と話をしようとしたのだが、見事に失敗した。たまたま廊下で先を行く彼女を見つけたので声をかけたのだが、悲鳴を上げられてしまった。声をかけたタイミングが悪かったのだろうが、自分でも面食らうほどにショックを受けている、気がする。午後の仕事の効率がかなり低下して感じられたのも、恐らく気のせいではないだろう。こんなことではいけない。何とか体勢を立て直さなければ。
15日
午前中、羊様の囲いが一部破損していたので応急修理。手伝っていたジオが「この囲いは格好良い」などと言うので思わず彼の美的感覚を疑ってしまったのだが、今思えばあれは彼なりの冗談だったのだろうか。私の気分が沈んでいるのを察して気を遣ってくれたのかも知れない。部下に気遣われた上にその気遣いすら無にしてしまうなど、非常に情けない話だ。
午後はルーイの剣術の練習に付き合った。奴は何も言ってこないが、あのにやけ方からすると恐らく何もかも把握しているのだろう。正直なところ、かなり腹立たしい。
17日
一応滞りなく進んではいるのだが、やはりミス・メーメエとのことが頭から離れず、仕事の進行に支障が出ている気がしてならない。本来ならば今一度声をかけるところからやり直せば良いのだろうが……。
ミス・メーメエに悲鳴を上げられたのは、恐らく声をかけるタイミングが悪かったからなのだろうとは思っている。城の裏庭に住み着いている猫だとて後ろから近づけば引っ掻きもする。きちんと節度のある距離から声をかけていれば、ミス・メーメエも悲鳴など上げなかっただろうと思うのだが、どうしてもやり直す勇気が持てず、彼女と出会いそうな場所さえ避けてしまっている有様だ。己がこれほど臆病な質だとは思ってもみなかった。
21日
ルーイの誘いで狩りに出かけた。兎一匹仕留められなかったが、良い気分転換にはなった。
ただ、誘った張本人のルーイにはあまり獲物を仕留めようという意気込みはなかったようだ。狩りの間中恋する女性は兎のように臆病なものだとか思わせぶりに逃げる相手は追ってみせるのが礼儀だとか、恋の手練手管に関する(かなりうさんくさい)蘊蓄を傾け続けていた。仕舞いには相手にするのも馬鹿馬鹿しく思えて聞き流していたが、もしかしたらあれは慰めているつもりだったのかもしれない。ルーイに慰められたなどと考えるとなおのこと気分が沈むのだが……。
25日
今日はミス・メーメエときちんと話をすることが出来た。なんとなく生じていた誤解も解くことができ、正直なところかなりほっとしている。ここのところしばらくよく見かける割に避けられていたのは、以前姫君の部屋へ羊様をお連れする際に手伝ったことに対して礼を言いたかったから、らしい。用があるのに話しかけられないほど恐れられていたのかと思うと少々複雑な気分だが、彼女の様子を見る限りではそれも今日で払拭されたようだ。
しかし羊様の囲いまで連れて行かれたときには、ミス・メーメエがあまりに真剣で緊張した調子だったのも手伝って、不覚にも「恋する女性は臆病なものだ」というルーイの言を思い出してしまった。奴のあれは何かの洗脳術なのではないかと思う。絶対本気になどするものかと思っていたのに、一瞬でも思い出してしまうなど心の底から不本意だ。もう少しのところで、本人に向かって「告白でもされるのかと思った」と言ってしまうところだった。危険極まりない。己の愚かさに思わず笑ってしまったが、ほっとした気分もなかったとは言えない。こんなに笑ったのは久しぶりだった。
[本日の教訓]
・やはりこういう時のルーイの言は信用に値しない。