第三話 金属装丁の本にまつわるお約束な話

「お前って、光を出す魔法使えたのか?」
 忠実にグローリアの頭上で輝き続け、帰り道を照らす魔力光を見上げてアルバートは訊ねた。
「ああ、これね。違うわ。リヴィウスが作ったのよ。残していってくれるなんて、あの人、何気に親切ね」
「そうだな。俺達もその光を頼りに来たんだし」
 グローリアは光を見上げて眩しそうに目を細める。
「そういえば、お前なんでコンサートのラスト、ファティマさんに譲ったんだ?」
 グローリアの横顔を見下ろしたアルバートは、ファティマの話を聞いてからずっと気になっていた疑問を口にした。
「ファティマの方が歌が上手いから。それに、貴方が聴きに来るかな、と思って」
「……なんで俺が聴きに来ると最初に歌うんだよ」
「貴方が最後まで起きていられるのかどうか、かなり疑わしいんだもの」
 アルバートは否定することができなかった。実際、途中から眠くてたまらなかったのだ。
「一応今回は最後まで起きてたんだけど……。……あ、そういえば思ったよりファティマさんへの拍手が少なかったな。なんでだ?」
「……そうだったの?」
 グローリアはわずかに眉を寄せた。
「あの人、最近調子悪いらしいのよ」

「リーリアは私が最近調子悪いのは精神的に不安定になっているからじゃないかって言うの。そのせいで重心が高くなってて、声が安定しないんだろうって」
 すぐ近くにリヴィウスの気配を感じながら、ファティマは話していた。姿は未だに見せてはくれない。でも、近くにいる。ちゃんと聞いてくれている。
「だからリヴィウスに会えって。すごく話が飛ぶのよ」
 手近な岩に腰掛けて微笑む。
「でも、私もその方がいいかなって思ったの。……私、どうすればいいのか、迷ってる……」
 ファティマは言葉を切って首を傾げた。
「そういえば、さっきリーリア、何か怒鳴ってた? 珍しいよね? 何かあったの?」
 ファティマはしばらく返事を待ってみる。
「リヴィウス……」
 小さくため息をつく。
「……リーリアと何話してたの?」
 やはり答えは無い。ファティマは微かに膨れ面をして膝の間に顔をうずめた。
「……反応無いと……つまんない……」
 そしてファティマは、さっきのグローリアのようにそのまま眠り始めた。

 無事劇場に戻ったグローリアは関係者一同に陳謝し(態度はいつもと変わらなかったが)、アルバートと別れて部屋へ戻った。手早く着替えて机に向かい、本人としては最大限に少女趣味の便箋に今日の出来事を綴り始める。忙しい父への手紙は、ほとんど日記のようなものだった。本当に会える日は一年中で数えるほどしかない。
(次近くに来るのはいつかなぁ。次はいつ会えるだろう)
 考え事をしていたグローリアは、ついペンをくるりと回してしまう。インクが飛んで便箋に黒点を作る。しばらく半眼でそれを眺めたグローリアは、ため息をついてもう一枚袋から取り出した。そしてそのまま動きを止める。
 ドアの向こうから感情が流れてくるのに気づいたのだ。どうやら開けて欲しいらしい。グローリアは、ため息と共に立ち上がってドアを開けてやった。
「……猫じゃあるまいし、開けろって自分で言えばいいのに」
 ファティマを横抱きにしたまま立っていたリヴィウスに、グローリアは無感動な調子でつぶやく。
「ファティマのベッドは、あっち」
 リヴィウスは示された方のベッドにファティマを寝かせた。
「疲れているようね」
 リヴィウスから肯定の感情が帰ってくる。グローリアは髪をかきあげると窓の外の空の果てに視線をさまよわせ、
「口があるんなら無精しないでしゃべりやがれ」
 いつもの調子でぼそりと言った。
「……お前は人の感情が読めるのか」
 リヴィウスは素直に従う。
「大体の感情と表層思考なら。別に聞きたかないけどね」
 その割には好き勝手に活用しているんじゃないかとリヴィウスは思っている。
「で、私は質問に答えたことだし、貴方もそろそろさっきの質問に答えてくれてもいいのでは」
「ファティマに会わない理由か……」
 リヴィウスは腕を組んでうつむくと、重々しく話し始めた。
「……理由は三つある。……一つ目はファティマにあった縁談だ。相手はアンドレア・デュ・シャルレーン。伯爵家の三男で、人柄も悪くはないし、ファティマのことも大切にしているようだ。ファティマの家は彼の家に借金をしているが、それも彼と結婚すれば帳消しとなる。私といるよりはその方がファティマのためになるだろう。それにあと二つの理由もあるからな」
 グローリアは神妙にうなずく。言いたいことは色々あるがまずは話を聞いてからだ。
「二つ目は私にかけられた呪いだ。この二十年間、呪いは徐々にこの体を蝕んでいる」
「呪い……?」
 不穏な響きだ、とグローリアは思う。
「この仮面の下だ。私の顔の左半分はすでにその呪いに侵されてしまっている。火傷の痕のようなものが年々広がっていくもので、痛みも無いわけではない。……これが、私と長くいたせいでファティマをも蝕み始めた」
 グローリアは表情を曇らせてファティマの寝顔を覗き込む。
「心配は無い。彼女の方はすでに治癒している。だがこれから先も私と関わり続けるならば、また治癒できる保証はない」
「……そう。で、もう一つの理由は?」
「……私は人と同じく生きることはできない」
 言われた意味が分からなくて、グローリアは眉をひそめた。
「私の持って生まれた魔力は人が持つものとしては大きすぎる。大きすぎる魔力は歪みをもたらす。私の中の時間は、三十年前から止まったままだ」

「二十年くらい魔力を減少させる方法と、呪いを解く方法を探していたらしいわ」
 翌日、劇場の寮まで様子を聞きに来たアルバートに、グローリアはそう言って報告を終了した。
「……で、見つからなかったんだ」
「そう。呪いは、あの劇場から出られない、という内容も含んでいるらしいから。劇場の中で魔術だの呪術だのを扱った文献が見つかるとは到底思えないでしょう」
 グローリアはうなずいた。
「で、ついては今日から二週間以内にその方法を見つけて、リヴィウスにハッパかけてやろうと思うのだけど」
「……に……」
 アルバートは何事か呟いた。グローリアは聞き取れなくて首をかしげる(言いたい事は大体分かっていたが)。
「二週間!? 二十年で見つからなかったものを二週間!?」
「ええ。後二週間でファティマとアンドレアの婚約が発表されてしまうから。その後でファティマがアンドレアをふったら、アンドレアの面目がつぶれてしまうわ。三男とはいえ伯爵家の人間の面目をつぶすと政治的にもヤバイし、何より私、個人的にアンドレアの面目つぶしたくないの。友人の友人だから」
 近いのか遠いのか微妙な関係なのだが。
「と、言うわけでアルバート。ファティマの安定した歌声を取り戻すためにも、是非協力してもらいたいわ」
 アルバートはげんなりした表情でグローリアを見た。
「……何」
「……いや」
 アルバートは歯切れ悪く言って視線を逸らす。
「お前って真性の声フェチだったんだなと思って」
「失礼ね」
 グローリアは眉をひそめた。
「私はただ綺麗な音が好きなだけよ」
 アルバートは、無言で深く深くため息をついた。

 そして、二人は魔力を減退させる方法を探しに図書館へやって来た。
「なぁ、何も二週間て限定で探さなくても、ファティマさんがアンドレアさんの婚約断っちゃえばすむ話なんじゃないのか?」
 膨大な量の資料を前にアルバートは弱音を吐く。
「私もそう思ってファティマに言ったのよ。そしたらどうもファティマのお母様が」
 グローリアは手近な分厚い資料の本を手にとってため息をついた。
「断るのは許さないって。ファルの家がシャルレーン家……アンドレアの家に多額の借金をしてる関係で。ファルの家、お父様が他界してらっしゃるから、他に借金を返すアテ、無いのよ」
「なっ! 酷いじゃねぇか!」
「……アル、ここ、図書館だから。静かにして」
 グローリアは何気なく手に持っていた資料の角でアルバートの頭をはたいた。ごすっとかすごい音がして、アルバートは頭を押さえてその場にうずくまる。
「それにファルだって悪いのよ。家族のためアンドレアのためって、自分の気持ちに正直にならないから」
 グローリアは至極真面目に話していたのだが、アルバートにはすでに聞こえていなかった。

「……やめた」
 約三分で、グローリアは資料を閉じた。
「……早ぇな、オイ」
「……ひいひいおばあ様に聞いてみる」
 半眼でつぶやくアルバートにもひるまずに宣言する。
「……いくつなんだその人」
「百十三歳」
 グローリアは答えると、資料を書架に戻した。
「でも外見は二十一。リヴィウスと同じ症状なのよ。それで、治してないから治し方も知らないと思っていたけど、あの人の性格だと知ってるかもしれない。少なくとも、呪いの解き方は知ってると思うわ」
 年とらない病(アルバートはそう解釈していた)の治し方を知っていそうな性格ってどんなものなんだろう、とアルバートは思う。
「そんなことはどうでもいいわ。そうと決まればさっそく遠距離連絡用の魔法装置を借りなくては」
 世の中にはそんな便利なものがあるのか。アルバートは感心した。

 しかし。
 実際にはそれほど便利なものでもなかったのである。
「……グローリア、使い方分かるか」
「全く」
 魔術師育成施設、賢者の学院の倉庫で、グローリアはさっきの資料より更に分厚く、しかも金属装丁された非常に重たい魔法装置の取扱説明書と格闘していた。
「それで本当にひいひいおばあさんと連絡取れるのか?」
「動かせれば」
 グローリアの答えは簡潔だ。ページをめくるのに忙しいらしい。
「アルバート、あそこのボタン、ちょっと押してみてくれる。大丈夫、死ぬときは私も一緒だから」
 全然安心できなかった。
「……これか?」
「そう、それ」
 にもかかわらず従ってしまう人の良い自分に、アルバートはちょっぴり感動した。

「すみません。使い方が良く分からなかったので調整が上手くいかなくて」
 どうやら違うところとつながってしまったらしい魔法装置に話し掛けるグローリアを眺めながら、アルバートはぐったりと座っていた。何しろ三十分かかっても作動しないし、やっと作動したと思ったら変な所から煙は出るし、途中でグローリアが落とした取扱説明書は足で受け止めそうになるしで戦々恐々しっぱなしだったのだ。疲れた。
「……あぁ、そうだったんですか。はい、わかりました。ご親切にどうも……。いえ、ありがとうございます」
 グローリアはしきりにお礼を言いながら通信を切り、何か操作をすると再び通信を始めた。
「やり方を教えてもらえたわ。魔法学園の人は親切ね。……あ、つながった……もしもし? おばあ様? 私、グローリア」
 今度はちゃんとつながったらしい。アルバートは立ち上がるとグローリアの側へ行った。
「ちょっと質問があるの」
『なんじゃ?』
 装置の中から、わずかにくぐもった若い女性の声がする。
「魔力が強くて年とらなくなっちゃった時ってどうすれば治るの?」
『お主そんなに魔力強かったかのぅ?』
 口調は年寄りっぽかった。
「私じゃないわ。知り合いよ。あと火傷の痕みたいなのが徐々に広がっていく呪いを解く方法も知りたいんだけど」
『それは精霊にかけられた呪いかの?』
「いいえ、人間だそうよ」
『ふむ、思い出すからちょっと待っとれ』
 装置からなにやらごそごそと探っているような音が響く。
『……これで大丈夫そうじゃな……。……わかったぞ、グローリア』
 アルバートはメモ用紙を準備して次のセリフに備えた。
『それなら両方一度に治せるぞ。ちと痛いが』
 ふとグローリアの方を見ると、最初からこちらに聞いておけばよかったという表情をしていた。
『お主の父親に斬ってもらえばいいんじゃ』
「「……は?」」
 図らずもアルバートとグローリアの声が見事に重なる。
『お主の父親の仕事はなんじゃ?』
「何って……悪魔を殺すことだけど、それがこれとどう関係しているの?」
「……悪魔?」
 モンスターの中でも最強最悪の一族の名に、アルバートは耳を疑った。
 何でここでそんな物騒な単語が飛び出て来るんだ?