第二章 The Guardian of the Garden

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「……着いちゃったよ……」
 レルティの後ろで、捕虜がものすごく不本意そうにつぶやいた。さっきからやけにおとなしかったからてっきり寝ているものとばかり思っていたのだが、どうやら起きていたらしい。
「坊ちゃん、もう一つ報告だ。彼女の本拠地、かなり緑が豊富だった。見かけ的には砂漠の中のオアシスみたいな感じだ。水資源があるのかもしれない。だとしたら貴重な水源地になるよ」
 さっきまでレルティの隣に座っていた迅斗は、今は助手席でアクアの報告を聞いている。車はちょうどインティリアとエクスティリアを隔てる壁の外側に着いたところだった。時刻は深夜に差し掛かったあたりだろう。見上げれば首が痛くなるほど高い鉄製の壁の外側には街灯一つなく、ひどく暗い。
「通行証をお見せいただけますか」
 車止めに立つ守衛の声すらも翳って聞こえる。レルティは小さく身震いして窓から顔を背けた。
 エクスティリアの夜はどうにも好きになれない。
「エヴァーグリーン本部まであとどれくらい?」
 レルティの横で寝ているカイラスを思いやってか、訊ねるライファの声は控えめだ。
「二時間くらいよ」
 同じく押し殺した声で答えると、ライファは深くため息をついた。

「インティリアまであとどれくらいだ」
 助手席のタスクは不機嫌に訊ねる。アレスの運転はいつもと違ってかなり乱暴だった。
「明け方には着くかなあ」
 口調はいつもと変わらないが、実際にはかなりいらいらしているらしい。
「今何キロ出してる」
「百三十?」
 ハンドルを握ったまま、アレスは首をかしげる。
「何で疑問形なんだよ!?」
「だってそんな出てる気しないだろ?」
「……いったん止まって頭冷やすか?」
 吹き付ける強風で会話もままならないというのに、この男何を言っているのだ。タスクは呆れかえって半眼になった。
「……お、ドライブイン発見。じゃあ、ちょっくら休憩にするか」
「是非そうしてくれ」
 タスクはなんだかげっそり疲れきって頷く。
「なんだよ。お前乗ってるだけだろ? 運転者の方が疲れるんだぞ」
「……あせってるときのお前の運転は乗ってて寿命が縮むんだよ」
 アレスは不思議そうに首をかしげた。
「……俺、あせってるか?」
「かなりな」
 アレスはため息混じりに、タスクに指摘されるなんて重症だとかつぶやきながらスピードを落とす。
「じゃ、夜食にするか。俺なんか買ってくるから、タスクちょっとポンコツ君見張っといてくれ」
「ああ。俺ホットドッグな」
「へいへい」
 さっきより幾分か落ち着いた運転で、ポンコツ君はドライブインに滑り込んだ。

 バンから降りたレルティは思い切り伸びをした。エヴァーグリーン本部の高い塀の中の駐車場は、夜も相当遅い時刻なので静まり返っている。
「あーもう。ずっと車に乗りっぱなしだとあっちこっちこわばっちゃうわ」
 首を回すレルティを見たノエルが、苦笑してお疲れ様ですと言う。それに答えようと振り向いたレルティは、そのまま動きを止め、小さく「げ」とつぶやいた。
「お帰りなさい、皆さん。今回は早くお仕事が終わったようで良かった」
 レルティの視線の先には、長く真っ直ぐに伸ばした紫色の髪の女性が立っていた。彼女はバンの後ろに回り込み、迅斗に腕をとられて後部ドアから降りたライファの前に立って穏やかに笑う。
「こんにちは。フェルゼン様から、貴方の面倒を見るよう命じられました。如月桔梗、と申します」
「ふーん。知ってるとは思うけど、私はライファです。よろしく、キキョウさん」
 ライファは投げやりに頷いた。桔梗はかすかに眉根を寄せる。
「こんなことになってしまって、さぞかし不本意だとは思います。でも、せっかくだから仲良くしたいわ。駄目かしら?」
 ライファは黙ってじっと桔梗を見返した。誰も何も言わない時間が数秒あって、迅斗が気まずそうにライファの腕を放す。
「……まあ、仲良くするのは悪いことじゃないとは思うけど」
 ライファは目を伏せてぼそぼそとつぶやく。
「そう、ありがとう」
 嬉しそうに微笑む桔梗から目を逸らして、レルティはいらいらとため息をついた。
「レルティ? どうしたんだい?」
 いつの間にかレルティの隣に来たアクアがいたずらっぽい笑みを浮かべて尋ねる。レルティが桔梗を好いていないことに気付いているのだろう。
「嫌いなのよ。ああいうの。偽善者っぽくて」
 レルティは顔をしかめて親指の爪を軽く噛んだ。
「じゃあ、桔梗。あとは任せる」
「ええ。疲れているでしょう? ゆっくり休んでくださいね。皆さんも」
 桔梗と気軽に会話する迅斗に、こちらの気も知らないで、と、レルティはますますいらつく。あまり見ていたくなくて視線をずらすと、たまたまぼんやりとこちらを見ていたライファと目が合った。無表情だったライファは力なく微笑して空を見上げる。つられて見上げた夜空では、水だけでできた星――フォンターナが、淡い光を放っていた。

 アレスが買ってきたホットドッグにかぶりつくなり、タスクは思い切り顔をしかめた。
「……不味い」
「文句言うな。食べ物には常に感謝の心を忘れずに、だ」
 ポンコツ君のドアに寄りかかって同じくホットドッグをぱくつきながらアレスがもごもごと言う。
「でも不味いだろ」
「……美味しくはないな、確かに」
 そのまましばらく、二人は黙ってホットドッグを食べ続けた。
「作戦なんか考えてっか?」
 先に食べ終わったタスクは背もたれを後ろに倒し、頭の後ろで両手を組む。
「なかなかなあ。水とライファが揃えばそれでばっちりなんだが。タスクはなんか思いついたか?」
「頭脳労働はお前の担当だ」
 その言葉に、アレスはにやりと笑って横目でタスクを見た。
「言ったな? じゃあお前は肉体労働担当だ。ふふふざまあみろ」
「何がざまあみろだよ。俺は俺の気が向いたときに働く」
「ガキかお前は」
 アレスは半眼でつぶやき、ふと空を見上げる。
「綺麗だよなあ。フォンターナ」
 憧れるような声音に、タスクは無言で頷いた。
「あー、海行きてー」
「地球から迎えが来ねえんだからしょうがねえだろ。フォンターナ移住計画にでも応募するか?」
「ターナは俺達を受け入れないよ。地球からの迎えも来ない。絶対」
 タスクは背もたれから身体を起こし、ドアに寄りかかっているアレスを覗き込む。
「やけにきっぱり言うじゃねえか」
「地球には海がある。海は全ての土地に平等に雨を降らせる。この星のように、水の星が天頂に来たときだけ降るのではなく。地球では人類は皆飢えることなく、また貧富の差もない」
 アレスは水の星を見上げたまま歌うようにつぶやいた。
「エヴァーグリーンの教科書の文句だ。タスクも聞いたことあるだろ?」
「ああ」
 アレスは小さく笑みを浮かべてタスクを振り向く。
「あれ、嘘なんだ。そんな理想郷はどこにもない。迎えなんか来ないよ」
 タスクはじっとアレスを見返した。その真意を確かめるように。
「ちょっと考えればわかるだろ。地球がそんな理想郷だったなら、何でそこ捨ててわざわざこんな荒地ばっかりのところに来るんだよ? それにどんなに星が豊かだって、人類の特性がそうころころ変わるとは思えない。貧富の差がなくなるとか、飢える人間がいなくなるとか、そんなことあるわけがない。エヴァーグリーンの言ってることはおかしいんだ、いろいろ」
 厳しい表情で、アレスはもう一度水の星を見上げた。
「初めて会ったとき、言ってたよな」
 タスクは同じように水の星を見上げてつぶやく。
「俺達は月を探してるって」
「ああ、言ったよ」
「関係あんのか?」
「さあなあ……」
 すっかり冷め切ったホットドッグの、最後の一口を飲み下してアレスは笑った。
「説明はまた今度な。今はほら、ライファ救出が最優先だ」