第一章 The moon is the sea

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 結局、自分たちが捕獲の任務を負っている以上、しばらくは他のチームの追っ手はかからないだろうというナナミ・チームの言により、一同は他力本願寺へ移動することになった。

「アクアもいるしね」
 バンに乗り込みながら、レルティは頷いた。
「あ、席どうしよっか? 私やっぱり後ろに乗ったほうがいいよね? 天理もいるし」
 ライファはバンの前に立ち止まり、自分の背後にいるノエルと迅斗へ振り返る。
「天理? どこにいるんだ?」
 運転席に乗り込もうとしたカイラスが、途中で動きを止めて辺りを見回した。
「裏」
 ライファは簡潔に答え、指笛を吹く。それに応えて診療所の裏手から飛び出してきた天理の頭を、カイラスが久しぶりだなあとか言いながら上機嫌で撫でる。
 その様子をレルティが眺めていると、ノエルがさりげなく隣に乗り込んできた。
「……さっきの会話を聞いてて思ったんですけどね、僕、あなたが本当にリーダーのこと好きなのか疑問に感じましたよ」
「ああ、アレ? 私、リーダーのことは本当に好きよ? そりゃさ、片思い切ないし、迅斗に私のこと好きになって欲しいなー、とは思ってるんだけどさ。でも同じくらい、私の考え方も認めて欲しいって思うの。だってさ、自分を偽って好きになってもらってもしょうがないじゃん? 私としては、そっちの方が片思いより切ないなって思うのよね」
 軽く窓ガラスを叩く音がして、レルティは話を止めた。窓の外にはライファがノックしたポーズのまま立っている。
「私、天理と一緒に後ろに乗るね」
「いいの?」
「うん。アレスとタスクがいたときも後ろ組だったから、そっちのが落ち着くんだ。この車の後部広いしさ。道案内はいらないでしょ?」
 ライファはひらひらと手を振って後部に乗り込み、迅斗はノエルの隣に座った。カイラスは高橋を助手席に乗せてから運転席に陣取り、ハンドルを握る。
「じゃあ出発するぜ。忘れ物ないよな?」
「たぶんねー」
「何も持ち込んでませんし」
 レルティとノエルが答え、バンは高橋診療所の庭から滑り出た。

 ライファがそのまま旅に出るつもりだったと言った割には、他力本願寺の戸締りはいい加減だった。
「盗まれて困るようなものは全部持ってっちゃうつもりだったし。後から来る人が使えるようにしといたほうが親切じゃない?」
 木製のよろい戸を重そうに押し開けながらライファは言う。
「さ、どうぞ」
 迅斗が黙って靴を脱ぎ始めたのを見て、レルティとノエルがちゃっかりその真似をした。気付かなかったカイラスだけが土足で上がりこもうとする。
「靴は脱ぐ!」
「うお!?」
 ライファがすかさず叫び、カイラスは慌てて飛び退いた。
「もー、しょうがないなあ」
「も、申し訳ない……」
 カイラスは大きな体を小さくしてぺこぺこ頭を下げる。
「なんだい、もうライファちゃん見つかったのかい? 意外と早か……」
「あーっ!」
 ライファは本堂から出てきたアクアを指差して大声を上げた。
「土足厳禁! の決まりを破ったら雑巾がけ! 他力本願寺の掟その十二くらい!」

「文化の違いって奴だね……」
 雑巾片手に本堂を見回したアクアは、ため息をついて呟いた。
「土足厳禁なんて、考えてもみなかったよ」
「ねえねえ、雑巾がけって、いったいどうやるの?」
 本堂の広さに感動して柔軟体操を始めたレルティが、Y字バランスをしながらライファに尋ねる。
「雑巾をこう、両手で押さえたまま」
 ライファは本堂の端にしゃがみこんで雑巾を押さえた。
「木目に沿って、向こう端まで走る」
「おお!」
 レルティは足を下ろし、両手を叩く。
「一往復したら、隣に移る」
「私もやる! やってみたい! めっちゃ楽しそう!」
「そうか? 俺なんか筋肉痛になりそうなんだけど……」
 身を乗り出すレルティの背後で、カイラスはげっそりと呟いた。
「そりゃ、あんたの鍛え方が足りないんだよ。ほら、やるよ!」
「競争しようよ、競争! 私こっちの三分の一」
 アクアが促し、レルティが仏像側の一角に陣取って主張する。
「そうかい? じゃあ、あたしは真ん中。カイラスはそっち」
「……ほ、本気で競争する気かよ」
 庭に面した三分の一を割り当てられたカイラスは抗議しようとするが、女性二人に「当たり前でしょ」「楽しそうだからいいじゃないか」と却下された。
「行くわよー! はっはァ! 燃えるわ!」
 スタート地点に仁王立ちしたレルティが、心底楽しそうに周囲を睨みまわす。

 とりあえず話の続きは雑巾がけが終わってからということになって、迅斗は雑巾がけの邪魔にならないように縁側に腰掛けていた。ノエルと高橋は、土間になっている台所でこの近辺の政治経済状況について話し込んでいる。
「……私、レルティが勝つに十点」
 雑巾がけの説明を終えたライファが、そう言いながら迅斗の隣に腰掛けた。
「……アクアが勝つに二十点」
 迅斗はぼそりと答えてライファの方を振り向く。
「この賭けはちょっと俺に有利すぎると思うんだが」
「ん? あ、そーか。チームメンバーの能力くらい把握してるよね。相手を間違えたな。高橋先生にしておけばよかったんだ。まあでも一度持ちかけた賭けを」
 ライファの言葉を遮って、勢いよく本堂の入り口が開かれた。
「な、何!?」
 ライファと迅斗は腰を浮かして入り口へ振り向き、ノエルと高橋も台所から顔をのぞかせる。
 本堂への入り口、逆光に浮かび上がるシルエットは子供のものだが、かもし出す雰囲気はその場のほぼ全員から言葉を奪う。
 皆が動きを止める中、レルティの「いっちゃ〜く!」の声だけが妙に元気よく響き渡った。
「ってあれ? どしたの?」
 雑巾を持って立ち上がったレルティが、ようやく微妙な雰囲気に気づいて首を傾げる。
 ――まだここにいたのか、この愚か者ども――
 全員の頭の中に、とてつもなく不機嫌なティア・カフティアの声が響き渡った。