第一章 The moon is the sea

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「カフティア指令!? どうしてここに!?」
 縁側に立ち上がった迅斗が真っ先に尋ねる。ティアは背後にフィニスを従えたままゆっくりと全員を見回し、うざったそうに眼帯を外した。
 ――街に住むマリーという女性に車で送ってもらった――
「へえ、マリーが? よく乗せてもらえたねえ。あの子結構警戒心強いんだけどな」
 一人緊張感のないライファがのんびりと答える。
 ――そうか? アレスに対する思いの丈を洗いざらいぶちまけた所、非常に快く案内を買って出てくれたぞ――
 ……何を言ったんだろう。
 元とはいえ上官の登場に言葉を発せずにいるナナミ・チームの面々は、黙ったままそれぞれにさまざまなことを想像する。
「ところで迅斗?」
 ずかずかと本堂へ上がりこんで適当な場所へ座り込んだティアを大して気にした様子もなく、ライファは首を傾げた。
「ああ、何だ?」
 ティアに対する警戒を解けない迅斗は、ティアとフィニスの一挙手一投足に注目したまま答える。
「賭け、私の勝ちよね?」
「……あ」
 迅斗は思わずティアたちから視線を外し、ライファの方へ振り向いた。
「ラッキー」
 満面の笑みを浮かべるライファに、迅斗は一瞬動きを止め、それからぎくしゃくとした動きでレルティへ顔を向ける。
「な、何? 迅斗」
「……いや、何でも」
 視線に気付いて引きつった笑みを浮かべるレルティから、迅斗はため息と共に視線をそらした。

 ――どちらにしろ、ここはもう引き払った方が良いだろうな――
 いつの間にか壁際から引っ張り出してきたテーブル――正しくはちゃぶ台というらしい――の前に正座して、取っ手のないコップ――湯呑というらしい――でお茶をすするティア・カフティアが、お茶を口に含んだままそう言い放った。ちゃぶ台のサイズ的にはみ出してしまったレルティが、迅斗の後ろから「カフティア指令のテレパシーって食べながら話すには便利なのねー」と感心した様子で呟く。
「そうだね。月も探しに行かなきゃいけないし。手掛かりあんまりないけど……」
 迅斗を左に高橋を右に、ティアを正面に座ったライファは、レルティの呟きには気づかずに話を進めていく。
「何一つないのか?」
 迅斗は眉根を寄せて尋ねた。
「一つだけなら」
 ライファはポケットからハンカチの包みを取り出してちゃぶ台の上で広げる。包みの中から現れたのは、一センチ四方の黒いメモリーチップだった。ちゃぶ台からはみ出していたナナミ・チームの面々は、一斉に迅斗の肩にのしかかってちゃぶ台を覗き込む。
「これ、私が発見された遺跡にあったものなんだけど、データ形式が特殊で解読できないんだって」
 のしかかられて半分ひしゃげている迅斗の目の前で、ライファはマイペースに説明を続けた。
「これを読み取れる型のコンピュータを探して中のデータを読んでみようっていうのがとりあえずの私たちの目標、だったんだけど」
「ライファちゃんが発見された遺跡? 何それ」
 迅斗の肩の上に肘をついたまま尋ねるレルティに、迅斗は「重いぞ!」と抗議する。
「最初っから説明したほうが良いよね?」
 ――できればな――
 座席争いを始めたナナミ・チームの面々を後目にティアは厳かに頷き、湯呑を持って立ち上がった。
「まあ、とりあえずみんなで話し合うんだったら机はなくても良いかな?」
 高橋も笑いながら立ち上がり、さっさとライファと二人でちゃぶ台を片付け始める。
 ちゃぶ台を片付け終える頃には、ナナミ・チームの座席争いも終局を迎えていた。迅斗の隣には、ちゃっかりというか当然というかレルティが居座っている。
「最初にね」
 全員が車座に座ったのを見回してから、ライファはゆっくりと話し始めた。
「それに気づいたのはルーキスっていう人だったらしいんだ」

 その頃地球は危機的な状況にあった。
 海の汚染は深刻化し、原因不明なまま月が地球に接近していた。海の汚染について研究していた人々は、もちろん彼らの存在には気付いていた。彼ら――浅瀬を中心に繁殖した植物の存在に。そして、海の汚染と月の接近と彼らの繁殖が同時に進行していっていることと、彼らには海を汚染された海を浄化する能力がある、ということに。
 その植物達が音声に依らない精神的な共鳴、つまりテレパシーによってコミュニケーションを取っていることに最初に気付いたのは、ルーキスという学者だった。『新人類』と呼ばれて当時脚光を浴びていたイディアー能力者の持つ力と、彼らの持つテレパシー能力が同質のものであることを証明したのも。
 自分自身強力なイディアー能力を持っていたルーキス博士は、数年がかりで植物達のテレパシー記号を解読した。彼らは自らを「あらゆるもの」と呼び、人間を激しく憎んでいた。
 彼らの精神構造は人間と酷似しているらしい、と、ルーキス博士は書き残している。人間との相違点で最も特徴的なのは、彼らが種全体で一つの意識を共有しているらしいこと。そしてそれ故に、極端な思想を持つに至ってしまったのだろうということ。

「その植物達は、確かに海の汚染に対して耐性があったから、ある程度海が汚染されることで、海の中で優位を持つことになったわけだけど、今以上に海が汚染されたらやばいって。実際、その植物達の中にも凶暴な突然変異が出たりして困ってたりしたらしいし」
 いったん言葉を区切って湯呑に口をつけたライファにカイラスが首を傾げる。
「極端な思想ってなんだ?」
「うん……」
 ライファは頷き、湯呑を床において顔を上げた。
「人間は全部滅ぼすべきだって。意志の数が多ければ、それだけ意見も中和されるのが普通だけど、植物達は個体数は多かったけどひとつの意志しか持っていなかった。少し考えればわかるはずのことがわからなくなってたんだと思う。彼らは月を呼んでたの。人間を滅ぼすために」

 だから、ルーキス博士はフォンターナとライファに協力を求めた。
 かなり珍しい例だが、ルーキス博士はテレパシーだけでなく、時空間を操る強力なイディアー能力も持っていたらしい。イディアー能力を付与・強化する方法を確立したのも彼だった。彼はフォンターナとライファのイディアー能力を強化・変性し、水の星維持システムと帰還システムとし、自分の能力を使って海を月軌道に浮かぶ水の星に変化させた。その頃、危険なほど地球に接近していた月は全能力を解放して異空間に保存した。

「まあ、そんな無茶なことして変化しちゃった質量とか引力関係とか、そのあたりも月に関連する部分は維持システムが、地球に関連する部分は帰還システムが擬似的に当時の状態を維持してるらしいよ」
「……らしいよって……帰還システムはお前だろう」
 迅斗が半眼でツッコミを入れる。
「まあ、そうなんだけどさ。不随意能力って言うか、地球自体が帯びているイディアー能力の記憶にしたがって自動で行われてるから、全然実感が湧かないんだよね」
 なははとか情けない笑い方をしながら後頭部を掻くライファに、迅斗は小さくため息をついた。
「そ、それはともかく。維持システムの仕事は、その名の通り水の星の維持、それからアレスと融合して敵意を忘れさせる操作と海の浄化で」
「っと待った! アレスと融合!?」
 車座の真ん中に身を乗り出したレルティが、アレスってライファちゃんの仲間のあの人じゃないっけ、と尋ねる。
「あー、うん。ごめん、話しそびれてた。アレスっていうのは、月を呼んでいた植物達の名前なんだ。あらゆるもの、って名乗ったから、それのドイツ語訳。ルーキス博士がドイツの人だったから。英語だとeverything、ドイツ語で『alles』ね。まあ、その話は後でちゃんとするから、先に私とフォンターナのこと話しちゃうね」
「う……うん? ……うん」
 レルティは納得いかない様子であちこちに視線をさまよわせながらも身を引いた。
「もうちょっとだから。でね、えーと、フォンターナの仕事、最後の一つ。アレスたちの敵意が再燃しないように、帰還システムが動き出すまでは地球からの侵入を排斥すること。アレスたちが敵意を失ったら、フォンターナから私に連絡があって帰還システムが動き出して、海を地球に帰還させて、アレスたちの力を借りて月を元の軌道にもどす……て計画だったんだけど」
 ライファはため息をついて、メモリーチップの輪郭をなぞる。
「私、コールドスリープ状態だったんだけどさ、エヴァーグリーンに発見されたとき正規の手続きを踏まないで無茶な覚醒させられちゃって、記憶が破損しちゃってね、目覚める前の記憶が白紙なんだ。今の話も、悠斗が私が眠ってた遺跡で発見された文献をもとに推理推定を交えて教えてくれたことでさ。このメモリーチップには、私の記憶の重要な部分がバックアップされてるらしいの。ぜんぶの記憶が戻ってくるわけじゃなくて、本当に座標軸がどうのとかパスワードがなんたらとか、データ的なものだけなんじゃないかって悠斗は言ってたけど」
「なるほど。それは解読する価値がありそうですね」
 ノエルが正座を崩して立膝をしながら頷いた。
 ――さて、一通り説明も終わったことだし、先ほどのレルティの疑問に答えようか――
 すっかり湯呑を気に入ってしまったらしいティアが、お茶をすすりながら言う。
「司令、お願いしまっす」
 レルティが気楽な調子で合いの手を入れて、ティアは満足そうに微笑した。
 ――実は、例の植物を自分の身体に寄生させている変態がいるんだが、そいつが悠斗……今のアレスでな。連中と意識を共有していることから、自らもあの植物達の一員として『アレス』を名乗ることにしたのだろう――
「それって、大丈夫なのかい?」
 アクアが半分呆れて、半分心配そうに尋ねる。
「うん、なんだか仲良くやってたみたいだし。あらゆるもの、って名乗るくらいだからいろんなイディアー能力使えるようになってたみたい。まあ、もともと悠斗ってイディアー能力ないからすごく弱い力しかなかったみたいだけど」
「戦力にはならなさそうな感じだったわね」
 ライファとフィニスが気楽な調子で答えて、アクアはため息をついた。
「それにしちゃあ一人で無茶する御仁だったみたいだけどね」
 ――あいつのアレは趣味のようなものだ。いちいち心配していては心臓がいくつあっても足りん――
「ガラスのマイハートも強化されていくわけよね」
 茶々を入れるフィニスを視線で黙らせて、ティアは迅斗へと向き直った。
 ――だから、お前ももう気にするな。運が悪かったのだと、そう思った方が良い――

「とすると、あんたが発見されたっていう遺跡が目的地になるわけかい?」
「ううん。あそこには稼働可能なコンピュータは残ってなかったから」
 ――となれば、目的地として考えられるのはまずウィーゼ開発地区だな――
 地図を広げる皆の輪から一人離れて、迅斗はぼんやりとライファを眺める。さっきのティアの言葉は、どうやら迅斗にしか聞こえなかったらしい。
「ウィーゼ開発地区? どうしてですか?」
 ――ライファが発見された遺跡とウィーゼ開発地区周辺はどうやら同じ企業の傘下だったらしいからな。あそこなら互換性のある機器も残っているかもしれん――
 ティアは広げた地図に赤いマーカーで印をつけながらノエルの問に答える。
「わかりました。では、明日の早朝出発ということで」
「んじゃ、今日はここで雑魚寝だね」
 ノエルとアクアが言い、ライファとレルティはカイラスを促して布団を敷き始める。
「思い出すなあ、研修合宿!」
 レルティはうきうきと押入れを開け放った。
「研修合宿の宿舎はベッドだっただろ?」
 アクアも立ち上がり、枕をぼんぼん投げ飛ばしながらレルティに答える。
 ――不寝番の順番はアクア、フィニス、迅斗、レルティで良いか――
「人選の基準は何でしょう司令?」
 言いながら立ち上がったティアにレルティが尋ねる。
 ――戦闘能力のあるなしだ――
「ほら、迅斗も手伝って!」
 ぼんやりしていた迅斗に、ライファが容赦なく枕を放り投げた。

 消灯後、迅斗は気配を消さないまま、裏庭へ面した縁側へ出た。
「眠れないのかい?」
 見張りに立っていたアクアが振り向いて尋ねる。本堂の方向から、ライファの弾くギターとかすかな歌声が聞こえてくる。
「……考え事を、していて」
「話してすっきりするなら聞くけどね?」
 答えにつまった沈黙の隙間に、ライファの歌声がすべり込んでくる。

  愛がもっと降ればいい この世界のすべてに
  そうすれば なにもかも あふれる愛の底……

「……助かる。……兄の、ことだ」
 迅斗は声をひそめて頷いた。
「悠斗、っていうんだっけ?」
 縁側に腰掛けながらアクアが尋ねる。
「ああ。そして、ライファはアレスとも。……無事でいるのか、わからない」
 うなずきを返しながら、迅斗は眉根を寄せて表情を歪めた。
「そうだね。ゴート隊長の話だと、怪我の様子は……」
「……わかってる。俺が傷つけたんだ、わかってる。……軽い怪我じゃない。あのまま治療が施されなければ……最悪の事態も考えられる」
 アクアが仕草で隣に座るよう示して、迅斗はそれに従った。
「ライファちゃんに、その話はしたのかい?」
 膝の上で握り締めた手のひらに、自分の爪が食い込む。
「していない。……いや、出来ていない、と言った方が良いだろうな。彼女は保留にすると言っていた。彼女自身がまだ向き合えないと思っているのかもしれないが、俺は……それに甘えてしまって……」
 うつむいたままでも、アクアが返答に困っているのがわかった。奥の本堂から漏れ出した光が、裏庭に二人の影を映す。
「怖いんだ。殺してしまったかもしれない。……実の、兄を」
 感情を抑えることも言葉を止めることもできないまま、迅斗は懺悔するように言葉を紡いだ。アクアの影がぴくりと身じろぎする。
「とっさだったから、考えが……回っていなくて……感情に任せて、力を使ってしまった」
「迅斗」
 アクアの呼びかけに答えるだけの余裕もなく、迅斗は両手で頭を抱えながら叫んだ。
「結果がどうなるかなんて考えていなかった! もしかしたら、あの瞬間には殺すつもりだったのかもしれない……!」
 すべて吐き出して慟哭する迅斗に、アクアは無言のまま、弟にそうしてやるような仕草で迅斗を抱きしめた。優しく背中を叩く感触に、迅斗はさらに嗚咽を漏らす。
 ライファの爪弾くギターの音は、まだ続いている。
 やがて長い間奏が終わって、ライファが再び歌いだす頃、迅斗はようやく嗚咽を抑えられるだけの冷静さを取り戻した。
 ライファのストロークの調子が強い。なんだかいらついているような、もどかしそうな弾き方をしている。

 ところで、二人のやり取りはライファの耳に届いていた。間奏を適当に作曲して引き伸ばしながら、ライファは目の前で丸くなっているするめに向かって呟いた。
「……向き合えない。ことが、迅斗を傷つけてる……」
 何度か瞬きをして今にも泣き喚きたいような衝動を鎮めて、星空を見上げた。
「……どうしたら向き合えるってのよ……」
 泣き出したいのをこらえながら、ライファは強くギターをかき鳴らす。
「……アレスの馬鹿っタレ」
 もう一度乱暴に間奏を繰り返してから、ライファは再び歌い始めた。

  雨がもっと降ればいい この世界のすべてに
  立ち止まるひと 歩き続けるひと すべて
  誰も彼も空も 泣いてしまえばいい

  強すぎる光を濡らすように
  強すぎる光も愛せるように