第六話 Dance on the balcony. Dance with the half moon.
6-2 ドレスとダンスと噂話
視察の一日目はリラ教会関係者のみ出席の歓迎会、二日目は町の視察が行われたらしい。フィラもドレスの採寸やら調整やらピアノの練習やら射撃練習やらで城を訪れていたのだが、視察団とはすれ違いもしなかった。この間のジュリアンの言動からすると、聖騎士たちが鉢合わせしないように上手く誘導していたのかもしれない。何も知らされないフィラは予想することしかできないが。
そして視察三日目。今日はいよいよ、ユリンの町中が心待ちにしていたパーティーの日だった。
「視察団の中にとっても格好良い人がいたのよ」
踊る小豚亭二階の小部屋で、フィラはソニアの報告を聞いていた。ドレスを着るのにお互い手伝いが必要だったので、一緒に着替えることにしたのだ。フィラのドレスの入手ルートについては、正直に『この間ソニアと採寸に行けなかったお詫びにと領主様が用立ててくださったのだ』と説明した。こういった特別措置を公にするとジュリアンの迷惑にもなるから内緒にしておいてほしいという要望にも、ソニアは快く応じてくれた。
「領主様と並んだらものすごく絵になるの」
バラやガーベラの模様が散りばめられた桃色のドレスに袖を通しながら、ソニアはうきうきとしゃべり続ける。視察の途中で花屋に立ち寄った視察団の中の一人に、彼女はいたく感銘を受けたらしい。
「銀色の髪のすごくきれいな方でね、優男風で男にしておくのがもったいないくらいなんだけど、軟弱な感じでもなくて。目も南の国の海みたいな青でね、物腰も品が良いし、めちゃくちゃ優しそうだし、領主様と並んで話してらしたんだけど、もうものすごく目の保養〜、って感じで」
ジュリアンと並んで遜色ないくらいなら、それは確かにえらい美形なのだろう。最近慣れてしまってあまり意識していなかったが、良く切れる刃物みたいなあの美形っぷりに対抗できるんだったら、それは相当なものだ。フィラはそう思って、「すごいね」と相槌を打った。
「ただね、領主様はちょっと怖かったな」
「え?」
ペチコート一枚のフィラは、ソニアの背中の紐を締めるのを手伝いながら顔を上げる。
「今まではね、優しそうに笑ってるところしか見たことなかったから。視察団の人がさ、あ、その格好良い人じゃなくて別の何か偉そうなおじさんだったんだけど、その人が皮肉っぽぅく『平和な町で何よりですな。こんなところでは聖騎士団の剣も錆びてしまうのでは?』みたいなこと言ったわけよ。そうしたら無茶苦茶冷たい声と笑顔で『試してご覧になりますか?』って、相手のおじさん一言で黙らせちゃったの。ちょっと意外な一面見ちゃった気分」
でもそれもまた格好良かったんだけど、とソニアは身悶え、手元が狂ったフィラは「動いちゃ駄目」と注意しながら紐を締め直した。意外と上手なソニアの声真似のせいで、妙にリアルに想像できてしまう。
「フィラは領主様のそういうところ、見たことあった?」
「え? 私? 私は……えーと。あ、あんまり……?」
どちらかというと、やる気なさそうにやさぐれているところばっかり見ているような。
恐らく、一番近いのは初めて出会ったときのあの威圧するような調子だろう。ああいうのは、自分の実力と迫力に余程の自信がなければ出来ない芸当だろうに、視察団の偉そうなおじさんに向けて出来るって。
「すごいんだね……領主様って」
ソニアの服の紐を締め終わって、今度はフィラが手伝ってもらう番だ。向きを反転して自分のドレスを床に置き、その中心に立って引き上げる。フィラのドレスは、その服の趣味じゃどうせ好きに選んでも地味になるんでしょ、というダストの意見により、結局自分で選んだ薄緑色のオーソドックスなデザインのものだ。
「意外と地味ね。領主様の見立てならもっと本格的に骨組みでスカート広げたのとかかと思ったのに」
ソニアが心底残念そうに感想を述べ立てる。
「そんなの着たら家から出られないよ」
鎖骨を出すデザインの胸元を落ち着かない気分で直しながら、フィラはつっこみを入れた。
「それもそうか」
ソニアは小部屋の出口――決して幅が広いとは言えないドア――を見やって頷き、肩口の辺りを直してくれる。
「私だったらもっと派手なの頼んじゃうけどな。でもこれ、可愛くてフィラに似合ってる」
ソニアは言いながら勢いよく背中の紐を締め、フィラは「く、苦しい」とうめき声を上げた。
着替え終わり、髪を結って化粧も施したフィラとソニアが一階に下りていくと、踊る小豚亭にはパーティ会場が開く六時まで時間を潰そうという常連たちが集まっていた。
「おお似合うじゃないか、馬子にも衣装だな、ソニア」
ソニアの父である花屋は、ソニアに一言余計だとはたかれながら豪快に笑う。
「よく似合ってるよ、フィラ」
ソニアと花屋のやりとりをひとしきり笑ってから、レックスがフィラに向き直ってそう言った。
「ありがと」
「パーティまではもうちょっとあるな。どうだ、前祝いにここで踊っていくってのは」
お調子者の楽器屋がジョッキを高々と掲げて提案し、周囲からは同意の拍手が上がる。最初からそのつもりだったのか、城でも自分たちの演奏でダンスなんてことをやらかすつもりなのか、瞬く間に笛や太鼓やラッパが取り出され、邪魔な椅子や卓は隅に積み上げられてしまった。
「フィラもたまには踊ったら?」
当然のようにピアノの前に腰掛けたフィラに、わざわざ追いかけてきたレックスが言う。
「いいのいいの。ドレス着たらピアノ弾きたくなっちゃったし」
「……なんで?」
そう言えば特に理由はない。
「なんとなく」
フィラは照れ笑いと共に答え、一曲目から陽気なテンポで始まったポルカに合わせてピアノを弾き始めた。
しばらくフィラの背後でぐずぐずしていたレックスも、やがてソニアに誘われて踊りの輪に加わる。
踊る小豚亭で一杯引っかけて踊った面々は、その陽気な空気を引きずったまま、大挙して城に押し寄せた。他にもそういうグループはいくつか見かけたので、変に目立つこともなく、逆に集団に埋もれた形でフィラも入城することが出来た。
ティナはダストから、城にいてもらう必要はあるがパーティー当日は入城時の検査が厳しいので今日から城内に留まっていてもらう、と告げられ、昨日から礼拝堂付近の光の神々に紛れていた。パーティー中に会うことは恐らく出来ないだろう。せっかく着飾ってみたのに、ティナにつっこみを入れてもらえないのはちょっと寂しい。
そんなことを考えながら歩いているうちに、一同は吹き抜けになった玄関ホールのシンデレラが駈け下りてきそうな扇形の階段を登り、パーティー会場である大広間へ辿り着いた。
そういえば、広間に足を踏み入れるのは初めてだ。玄関ホールまでは入ったことがあったが、その奥がこんなに広大な広間になっているとは思わなかった。子どもが百人集まっても充分走り回って遊べるくらいの大広間は、見事に綺麗に飾り付けられていた。
壁面には重厚なカーテンと精緻な風景絵画が配され、ソニアの両親を始めとした花屋たちが飾り付けた花々も良い芳香を放っている。いくつものシャンデリアで明るく照らされた天井には煤一つ無く、適所に配されたセンスの良いデザインのテーブルや椅子も光沢が出るまで磨き上げられていた。以前の荒廃っぷりを知る者としては、よくぞここまでと感心するしかない。
そして何よりも豪華なのは、中央省庁区からやって来た視察団の面々だ。中央省庁区の社交界をそのまんま引き連れてきたんじゃないだろうかという絢爛な雰囲気を纏った一団は、ユリンの町の人々とは間違えようもないくらいはっきりとした上流階級の空気を漂わせていた。特に女性陣は、フィラたちの略式のドレスと違って、ちゃんと骨入りのペチコートまで着用した豪華で本格的なドレスを着用し、優雅に扇を揺らしている。
「な、なんか豪華すぎてついて行けない感じ」
あの花は儂が飾り付けたんじゃ、あっちは俺だと言い合う花屋たちの後ろで、フィラはため息をついた。
「大丈夫大丈夫、私たちは庶民なんだから。最初からアウト・オブ・眼中だと思ってれば気後れもしないわよ。それより……」
ソニアはうきうきと周囲を見回しながら言う。
「最初って何をすればいいのかしら?」
フィラもソニアに習って周囲を見回しながら考える。一緒に来た酒場の常連たちは、談笑しながらさっそくテーブルに盛られた料理やワインに突撃していた。視察団や聖騎士たち――要するに貴族の面々は、少なくとも表面上はにこやかに挨拶を交わしている。
「挨拶……なんてする相手いないから、やっぱり食事じゃないかな?」
レックスの控えめな提案に、ソニアは「えー!?」と抗議の声を上げた。
「せっかく目の前に豪華絢爛な社交界が展開されているというのに! なんてもったいないこと言うのよ!」
ソニアは握り拳を固めて力説する。
「やるべきことがないならやりたいことからやるべきよ! 決めたわ! まず最初は、野次馬よ!」
というわけで、仲良し三人組はユリンの町の人々が作る人垣の隅っこに陣取って、社交界をじっくりと観察し始めた。
着飾った貴族たちの中でも一際目を引くのは、恐らくさっきソニアが言っていた格好良い人だろう銀髪の青年とジュリアンが話している一角だ。銀髪の青年は金モールで飾られた背広型の黒い軍服に身を包み、やはり金モールで飾られた黒い制帽をかぶり、胸には神祇官の座にあることを示す聖印をつけて、優しそうに笑っている。ジュリアンも普段着ているロングコートに、肩章や袖の階級章を付け足した礼装に身を固め、やはり神祇官位を示す聖印を身につけていた。
「わあ、やっぱりレギオンとファランクスの制服って対になってるのね、格好良い!」
「レギオンとファ……?」
はしゃぐソニアに、フィラは小首を傾げる。
「聖騎士団と光王親衛隊のあだ名みたいなものだよ。聖騎士団がレギオンで、光王親衛隊がファランクス。今は聖騎士団の方が立場が苦しいみたいだけど、以前は同じくらい重要な地位を占めていたんだって。聖騎士団団長も光王親衛隊隊長も、どっちも光王様が持つ最高神祇官に次ぐ神祇官の位を持ってるのは、その名残らしいよ」
野次馬に忙しいソニアに代わって、レックスが丁寧に説明してくれた。
「や〜ん、目が潰れそうな組み合わせ〜。目の保養になるわ〜」
その間にも、ソニアはどっちなんだと突っ込みたくなるようなことを言いながら身悶えている。
「ねえフィラ、何話してるか聞き取れる?」
急にソニアに腕を引っ張られて、フィラは瞬きした。
「い、いや……さすがにここまで遠くて雑音が多いと。でも、ただの雑談なんじゃないかな」
ジュリアンは一分の油断も隙もない、完璧に礼儀正しい微笑を浮かべ、優しげだがやはり隙のない笑顔の銀髪の青年と談笑している。親しい雰囲気は微塵も感じられないが、仕事に関連した話をしている感じでもないので、きっと当たり障りのない会話を交わしているのだろう。
「それでも興味あるのに」
ソニアが呟いたと同時に、貴族たちがものすごく上品にざわめいた。
「え? 何、何?」
ソニアを含む物見高い野次馬たちも、つられて身を乗り出す。ソニアに腕を取られたままのフィラにも、奥の扉が開いて目立つ一団が入場してきたのが見えた。最初に視界に飛び込んできたのは、銀髪の青年と揃いの軍服に身を包んだ見目の良い男たちだ。そして最後に彼らに囲まれて広間へ入ってきたのは、純白のローブに身を包んだ銀髪の美しい少女だった。黒服の一団の中で、神々しいほど白一色の彼女は、もうほとんどこの世のものとは思えない。
少女はやはり真っ白な羽毛で飾られた扇で顔を半分隠しながら、威厳たっぷりに広間を一瞥した。美しく清らかな容姿や装いに反して、どこか驕慢な印象を与える視線だった。
「嘘っ!? あ、あれ、光の巫女様なんじゃない!? 何でこんな辺境にいらしてくださったの!?」
ソニアが驚きの声を上げ、似たような声が野次馬の人垣から広間の隅々まで伝播していく。
「光の巫女?」
ジュリアンと話していた銀髪の青年と似た顔立ちの、近寄りがたい雰囲気の美少女を見つめながら、フィラは首を傾げた。