第七話 懐かしき愛の歌
7-4 The Lass of Glenshee
「フランシス・フォルシウス」
フィアを光王親衛隊本部の奥の部屋に案内し、実質的に幽閉してから光の宮殿へ参上したフランシスを迎えたのは、ランベールの落ち着き払った声だった。時代錯誤なほど広くきらびやかな大広間の奥の玉座には、既に光王が戻っている。複雑な装飾が施された円柱が整然と並ぶゴシック様式の広大な広間に控えているのは、今はランベールだけだった。軍部を預かるヘルベルト・ゴルトは逃亡したジュリアン追撃の指揮を執っているはずだが、間もなく戦果を上げられずに戻ってくることだろう。
「フィラを見つけたのか?」
ランベールの口調に動揺はない。ジェラルド失脚以前ならば、ジュリアンの裏切りはランベールにとっても致命的な失点になっただろうが、今はそれほど大きな痛手にはならないとフランシスも知っている。ゴルト家やジェラルドに忠誠を誓っていた一部のフォルシウス関係者は騒ぐだろうが、今ランベールまで政治から手を引いたら誰もWRUに対抗することは出来ないし、WRUとの関係を考えればジュリアンの裏切りも公にすることは出来ない。実質的に、選べる選択肢はランベールが敷いたレールに乗ることだけだ。だからこそジュリアンは行動を起こしたのだし、光王も既にそれをわかっていることだろう。後は誰がいつレールに乗るのか、ただそれだけだ。
「見つけた、と言って良いものか」
真っ先にレールに乗るつもりのフランシスは、苦笑しながら首を傾げた。
「確かに発見しましたが……彼女はフィア・ルカですよ」
「どういうことだ?」
ランベールは訝しげに眉根を寄せる。もしかして本当に知らないのだろうかとフランシスですら一瞬騙されそうになるくらい自然な演技だった。
「フィア・ルカとフィラ・ラピズラリが人工的に双子にされたことはご存知ですよね」
「もちろんだ」
あっという間に無表情に戻ったランベールが、重々しく頷く。聖騎士団が先代の光の巫女との接触があったか調査するために詳細に調べたフィラの来歴には、当然ランベールも目を通しているはずだった。返答を聞くまでもないことだったが、フランシスは確認するように頷いてから話し続ける。
「フィラ・ラピズラリの魔力がフィア・ルカに移植されたため、フィラ・ラピズラリの魔力値はゼロに近い数値となっていたはずです。しかし、理論上フィアの持つ魔力はフィラに戻すことが出来ると思われます。詳細はこれから調査することになりますが」
滔々と語るフランシスに、光王が微かに目を細める。
「私がプールで救い出した少女は、確かに魔力値はゼロでした。だが、言動はフィア・ルカそのものです。ご存知だと思いますが、私は個人的にフィア・ルカと親しかったので、間違いはないと思いますよ」
「入れ替わっていたというのか?」
真っ直ぐ光王に見据えられながら、フランシスはいつも通りの笑顔を返した。
「ええ」
「いつからと考える?」
鋭い眼光は、フランシスの仮面の奥の内心を見透かそうとしているようだ。
「最初からでしょう。フィラ・ラピズラリがユリンに入ったという記録はありません。でも何故か彼女はそこにいた」
光王がそれを信じるはずがない。なぜなら光王は嘘偽りなど介在するはずもない、あの暴走のシーンを見ているからだ。以前のフィアとジュリアンの関係を――そしてフィアとフランシスの関係を知っていれば、導き出される答えは一つのはずだ。それでも嘘をつき続けることに意味はある。
「そしてフィアが消滅《ロスト》すると同時に、彼女は表に出てきた」
要は真実より嘘を信じた方がリラ教会にとって益があると光王が判断すれば、こちらの『勝ち』なのだ。ここまであからさまな様子を見せれば、さっきからそれを見極めようとしているらしい光王にも、フランシスが『どちら側』なのかわかるだろう。
「つまり、フィア・ルカが消滅《ロスト》したという記録は偽り」
光王は重々しくフランシスのついた嘘をまとめてみせた。
「彼女は例の騒動の中で何らかの形で光の巫女の力を手に入れ、それまで持っていた魔力を何らかの手段でフィラ・ラピズラリに押しつけ、ジュリアン・レイに光の巫女の力を託すために周りの者全てを偽ってフィラ・ラピズラリを演じていた、ということか」
誰よりも『勝ち』を望んでいるはずのランベールは助け船一つ出さない。いや、WRU政府転覆のために打ってある布石こそが最大の助け船なのだろう。それがあればこそ、光王はここで事を荒立てないことを望む。九ヶ月ほど前に聖騎士団団長に水の神器輸送任務が命じられたときとは――ジェラルドがWRUとの和平のためにジュリアンを犠牲にしようとしたときとは、状況が大きく違うのだ。
「その通りです。行方不明となったフィラ・ラピズラリの人柄や詳細な容姿について、光王庁で知る者はありません。誰も気付かなかったとしても無理はないでしょう」
あの時ジュリアンを守り切れなかったことをランベールは後悔しているはずだが、フランシスに対してはそんな様子はおくびにも出さない。だが拙速とも思えるほどWRUへの干渉を急いでいたことを知ってから、フランシスは考えを改めた。
「無理はない、か。どうだランベール。そなたは何も感じなかったか?」
真っ直ぐ視線を向けられたランベールは、臆することなく首を横に振る。
「私は元々フィア・ルカとはほぼ面識がございません。ジュリアンとも疎遠でしたので、不自然な点があったかどうかは判断いたしかねます」
フィラを引き取って後見となっていたことも、フィラはジュリアンの妻だと訴えたことも、何もなかったかのように淡々と答えるランベールに、光王はふっとため息をついた。
「そうだな……レイ家とフォルシウス家が共にそう言うのであればそうなのだろう」
内心ほっとしつつも、フランシスはにこやかな笑みを保ち続ける。
「そういうことであれば、あの結婚は無効とするのが筋だろう。本物のフィラ・ラピズラリは同意していないことになるのだからな」
「機密を知る人間と一部の親しい人間以外には例の結婚のことは公表しておりません。取り消し手続きはこちらで進めておきましょう」
ランベールは相変わらず見事なほどの無表情でさっさと話を先に進めた。
「うむ。しかし、光の巫女の力が再び行方不明になったことは公表できぬ。既に力を持たぬとはいえ、フィア・ルカに自由を与えるわけにはいくまい。彼女の身柄はどうするか……」
光王が試すような視線をフランシスに向ける。一瞬の焦燥を、老獪な二人には見抜かれた気がした。
「今回引き起こした事態の大きさ、元々聖騎士団所属であったことを考えると光王親衛隊が預かるのが適当でしょう」
「そうだな。聖騎士団団長不在の折、光王親衛隊隊長が代理で護衛と後見を務めるという言い訳は立つだろう」
二人が会話を続けている間に、フランシスはどうにかいつもの笑顔を取り戻す。小生意気な子どもだった頃を知られている二人の前では、どうもいつもの調子を保てないことが多い。
「フランシス・フォルシウス。任せても良いか」
改めて向けられた光王の視線は、思った以上に真剣なものだった。
「はい。お任せください」
典礼通りの騎士の礼を取り、深く頭を下げる。
フィアの身柄を預かる――それ以上の責任があることはわかっているつもりだった。そこにない光の巫女の力を『ある』ことにする実績ならば、残念ながら光王親衛隊には聖騎士団より一日の長がある。この四年間、そうやってアースリーゼを光の巫女と偽り、リラ教会を支えてきたのだから。
「聖騎士団団長出奔に関する情報統制とゴルト家との折衝は任せるぞ、ランベール」
「もとよりそのつもりです」
無表情の下で、ランベールはもう既にゴルト家をどうやって言いくるめるか策を練ってあるのだろう。ランベールがフランシスに対してそうするつもりであるように、フランシスもお手並み拝見させてもらうつもりだ。
「では、いろいろとすることもあるだろう。二人とも下がって良い」
「はっ」
同時にそれぞれ騎士の礼と神官の礼をとったフランシスとランベールは、共に玉座の間を辞した。
「フランシス」
光の宮殿の出口の前で、ランベールが不意に立ち止まって呼びかけてきた。
「何でしょうか」
フランシスも足を止めて振り返る。ランベールのグレーの瞳は穏やかに凪いでいて、どんな感情も映し出してはいない。
「フィラ・ラピズラリ確保の際に側にいた者の記憶は消しておけ」
命令ではなく忠告だった。どうやらあの場で光の巫女の力をフィアが既に手放していることを発言してしまったのは失点だったらしい。
「……わかりました」
いろいろと冷静でなかった自覚のあるフランシスは、苦笑しながら頷いた。もっとも、どちらにしろあの場に残っていた転移魔術の痕跡調査を命じた隊員たちの記憶は消去しなければならなかっただろうが。
「それ以外はひとまず合格、ですか?」
軽い調子で尋ねてしまってから、しまったと思う。手厳しい上司に投げかけるには余りにも甘えた質問だった。相手がジェラルドなら反抗心も手伝って絶対にしなかったはずの質問を、なぜかランベールには投げかけてしまう。
「その程度のことは」
不快そうに眉を顰めて、ランベールはさっと背中を向けた。
「自分で判断することだ」
肩越しに投げかけられたのは、完全に不機嫌な声だ。ずっと騙してきた父親への罪悪感をすり替えるように、近頃はついランベールに懐きたくなってしまうのだが、向こうはどうやらこちらの甘えを許してくれる気はないらしい。
ランベールの背中が振り向きもせずに光の宮殿の外に消えてから、フランシスはふっと力の抜けたため息を漏らした。
「……はーい」
ランベールが聞いていたらとても許してはもらえなかっただろうふざけた返答を口の中だけで転がして、軽く肩をすくめる。
「いやまったく、聖騎士団を立て直していたときのジュリアンの苦労が偲ばれますね」
どうせ実の息子だってあの調子で突き放していたに違いない。否、ジュリアンならそもそもあんな甘えた質問もしなかったのだろうが。
「やれやれ」
何だか自分がひどく子どもっぽいような気分になる。そしてこれから戻る光王親衛隊本部でも、フランシスの愛する人はきっと甘えさせてはくれないのだろう。
――やっぱりジュリアンが羨ましい。
ひがみっぽいことを考えながら、フランシスは光王親衛隊本部行きのリフトに向かった。